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2015年4月

夢分析Ⅱ-5-6

夢分析Ⅱの

春学期(13)

第五部の第六講で、

1930226日の

セミナーです。

 

ヤントラへの質問があり、

ユングが「最古の形式は、

オーストラリアのアボリジニが、

イニシエーションを済ませた人に

石板チュリンガを渡します。

 

気力が落ちたと感じた時に、

そのチュリンガをだして、

擦ると気力が戻って来る」

と説明しています。

 

それに対して、参加者の中に、

牛がよく石に身体を擦りつけている

という話をして、ユングも、

「それも同じだ」と言っています。

 

北アフリカのベドウィン族の

幼児にユングがパンをあげようと

したら、知らない外人に幼児が

怖がったそうですが、

母親がペニスを握って擦ると、

幼児が元気になってニッコリと

笑ってユングからパンを

受け取ったそうです。

擦ると、勇気が湧くのだと言います。

 

ヤントラに向かって瞑想するのは、

チュリンガを擦るのと、

本質的に同じだと言います。

 

ヤントラは、瞑想に使う図形ですが、

そのヤントラの進化形が、

マンダラだと説明しています。

 

ユングは、夢見手は自分で

感じて、自分で考えるということを

恐れていて、一般論にしがみつこうと

していると言います。

 

夢には登場していませんが、

讃美歌を歌う先には牧師…

そこにセラピストであるユングを

投影しているだろうと言います。

 

しかし、歌詞が同じで旋律が

違うということをユングは

重視しています。

 

感情という劣等機能が

問題になっていても、

優越機能にしがみついて、

それでカバーしようとする

人が多いが、その感情を

使い始めたことを評価します。

 

ただし、皆で一緒に歌う

讃美歌である点は、

集合的に扱おうとしている

と言います。

 

ここで本当に問題になって

いることは、セラピストのユングに

対してや、彼の妻に対して、

個人的な感情機能の問題だと

言います。

 

彼の感情機能は、

無理矢理に教会に

通わされていた

子ども時代のままで

止まっているそうです。

 

集合的だと彼は

何の責任も負わなくても

良いというところが

個人的になれない理由だと

説明しています。

 

一人だけ違う感情表現を

する両性具有のユダヤ人が

登場しますが、そこから

夢見手はマイリングという人が

書いた『ゴーレム』という

小説を連想します。

 

で、ユングはこのゴーレムの

あらすじを説明します。

 

主人公は一人称で、ヒレルという

老賢人のようなカバラ学者の

父と二人で住むアニマ的な娘の

ミリアムに惹かれています。

 

ミリアムには、アタナシウス・ペナート

という神秘的な恋人がいますが、

アタナシウスという名は「不死の者」

という意味だそうです。

 

ある時、主人公とアタナシウスが

帽子を交換します。その帽子は

アタナシウスの考えや空想を

彼の頭の中に流し込みます。

 

ゴーレムとは、粘土で作った

魂のない生命体に、黒魔術で

額に名を書くことで命を

吹き込んだだけだが、

名を消す以外には殺せない

不死身な存在ですが、

 

主人公は、自分には理解の

できないビジョンを見るようになって

精神病状態になっています。

ゴーレムとなった主人公は、

アタナシウスの影のような

存在らしいです。

 

いろいろな冒険の末に、

ミリアムとヒレルの住む

家に辿り着きます。

 

前の日に見た時は質素な家

でしたが、訪ねて見ると

豪華な両性具有の彫刻や

宝石が散りばめられた家でした。

 

召使いが用を聞きに来て、

主人公は、アタナシウスの

帽子を返したいと渡します。

 

召使いが扉を閉める一瞬に

覗き見ると中は神殿のようで、

アタナシウスと抱き合う

ミリアムが見えます。

 

アタナシウスが主人公と、

顔形がそっくりなことに

驚きます。

 

召使いはアタナシウスの伝言を、

主人公に主人公の帽子を返し

ながら伝えます。

 

「自分の帽子じゃないとわかったので、

一切帽子は被っていない。あなたが

自分の帽子を被って頭痛を起こさなかった

ことを祈っている」とのことでした。

 

この話から…これ以上は夢見手に

話してもきっと理解できないし、

話していないが、我々は理解している

必要があると言って進めますが、

 

調子はずれな歌を歌った両性具有の

ユダヤ人は、神そのものだったんじゃ

ないかと。

 

この回はここで終わり、その話のまま、

翌週のセミナーに続いて行きます。

夢分析Ⅱ-5-5

夢分析Ⅱの

春学期(13)

第五部の第五講で、

1930219日の

セミナーです。

 

23

「夢見手は、プロテスタントの

教会の祝祭に参加している。

 

教会の椅子は、全部が前を向く

並べ方ではなく、説教壇の方に

向く形に並んでいる。

 

とても有名なクリスマスで

必ず歌われる讃美歌を歌って

いて、自分も加わるが、

斜め後ろから、歌詞は同じ

だが、旋律が周囲と全然

はずれてソブラノだが、

女性のドレスも来ているが

男のようでもあり、性別の

わからないような声で、

周りの讃美歌も乱される。

 

礼拝が終わって教会から

出ようとして外套を

ワードロープに置いて来た

ことに気づいて取りに

戻るが、彼が思った単語は

ワードロープという英語ではなく、

ギャルドロープというフランス語

から来た言葉だが、フランス語だと、

ヴェスティエールで、ドイツ語の

ガルデローベも、フランス語から

入って来た言葉だとか、

 

ギャルドロープは男性名詞か

女性名詞かを考えて、

ドイツ語だと女性名詞として

ディー・ガルデローペだが、

本当はル・ギャルドロープが

正しいんだという結論に

辿り着きます。

 

その時、さっきの調子はずれの

歌の人が連れの男とかわしていた

会話が聞こえて来ます。

 

『今日はとうとう私も讃美歌が

歌えるということを示せた』と。

 

夢見手は嫌味の一つでも言って

やろうとするが、その人が

さっきよりは男性的でユダヤ人

的な顔立ちをしていることに

気づく。

 

その人が知り合いに似ていることを

思い出し、その人の息子が友人だった

ことを思い出す。

 

そこに、その友人である息子が現われて、

讃美歌を台無しにしたと言って父親を

なじった」

 

連想として、夢見手は子ども時代に

無理矢理に教会に通わされて教会に

ずっと反感があって滅多に行っていない。

 

全部の椅子が説教壇に向かって並ぶのも

子ども時代に通われていた教会だった。

 

夢見手は音痴で調子はずれにしか

歌えないという事実と、教会から

離れたのに、夢の中で讃美歌に

加わろうとしたことを思い出す。

 

ギャルドロープとか、以前の夢で

エロスが寝室に現われたり、

両性具有の象徴が表れている

とユングは言います。

 

また、西欧は全知全能の神と、

その世界に悪魔が汚れを

もたらしたと考え、教会の

価値観は善悪の二つに完全に

分かれている。天国と地獄に

死後の世界も分かたれている。

 

東洋はすべてが相対的で、

良いものでも悪も混ざっていて

悪いものの中にも、良い面も

あるという考え方に西欧は

衝撃を受けるそうです。

 

中国でたましいを、

魂と魄の二つに分けていて、

 

男性の心の中の女性的な

部分ですが、魄でアニマです。

アニマは抽象的には語れません。

一人の人物のようにしか

語れません。

 

それは女性の心の中にも

ありますが、その場合は、

人物というよりも

関係性の原理としてのエロスになります。

 

女性の心の中にも男性的な

部分がありますが、

魂でアニムスです。

アニムスも抽象的には

語れず、一人の人物の

ようにしか語れません。

 

それは男性の心の中にも

ありますが、その場合は、

人物というよりも

論理性としてのロゴスに

なります。

 

この夢のように、アニマが

男性として表れる時は、

アニマと同一化し過ぎて、

憑依されてしまいます。

 

少しづつ、アニマが、

女性になっていくことで、

アニマとの関係を築いて

いくことが大切です。

 

彼の妻は不感症でも、

エロスや関係性を

欠いていて、自己愛しか

持てていません。

夢分析Ⅱ-5-4

夢分析Ⅱの

春学期(13)

第五部の第四講で、

1930212日の

セミナーです。

 

フロイトを次の二点で

批判しています。

 

修理工より自分で直そうとして

修理工を軽んじている点を、

フロイトなら「抵抗」とか、

「脱価値化」と呼んで問題に

するが、ユングはむしろ、

 

夢見手自身が、セラピストの

呪縛からみずからを解放する

試みで、それを殺してしまう

方が問題だと警告します。

 

もう一点は、フロイトが

夢の表現は、偽装されていて

その表現ではなく、奥に

本当の意味があるとした

ことに対して、

 

そうやって理解可能な

合理面だけに削ってしまい、

不合理な部分を無視してしまって

いるが、その不合理こそ、

真実であると。

 

未開人は、奇形の子が生れる

と殺してしまう。そうやって、

思っていたものじゃないものは、

存在しないことに…フロイトの

ようにしていたのだと。

 

で、マンダラの話になり、

インドでも宗派などで、

いろいろなバージョンは

あるそうですが、

 

チベット仏教やラマ教の

マンダラを例に、造形には

数々の約束事があって、

一番外側は欲望の炎とか、

円の中に四角い城壁があって、

四方に門があって、

中心部に行くほど

高くなっている。

 

つまり、マンダラは平面に

描かれますが、本当は、

ボロブドゥール寺院のような、

立体になっているとも言います。

 

メキシコやエジプトの

ピラミッドも、大雑把には

似ています。

 

ユングの西欧人のクライエント

たちも、自己表現や変容の試みに

際して、自分の中で…教わらずに

自分で発明したと思い込んで、

マンダラを描きました。

 

ただ、東洋ではそれが個人を

超えて、変容を求める人が、

入って行く器としてあるという

ところが、違っているのだと

言っています。

 

ここでユングは口を酸っぱくするほど、

東洋の方法を西欧人が真似るのは、

間違っていると強く警告しています。

 

よく日本人論とかで、

日本人は真似がうまいとか、

猿真似の民族と

言われたりしていますが、

 

ユングはここで、西欧人は

猿真似がうまく何でも

真似てしまうということを

言っています。

 

伝統や流れとしての

課題に向き合わねば

ならず、他の分化の

やり方を、安易に取り入れる

のは、「逃避」であって、

空虚しか生み出さないと、

かなり強い調子で警告します。

 

ここからは、僕の感想ですが、

西欧も、世界各地を征服して

そこの風習を取り入れたりした

のでしょうが、

 

逆に、征服された各地は、

もっとひどい剥奪を受けて、

西欧文化を押しつけられて

います。

 

日本は、まだ、植民地を

免れただけ、根こそぎでは

ないのかもしれませんが、

 

黒船ショックや、特に軍備だけ

でも、取り入れて増強しないと、

征服されて植民地にされるので、

必死に日本も富国強兵に走りました。

 

それまでの文化がどんどん否定され、

急速な西欧化をしてきました。

 

日本も、江戸末期までの自然な

文化の課題よりも、次々に

西欧を吸収するのに必死になり

日清日露に、太平洋戦争…

第二次世界大戦に突入します。

 

西欧は、真似るか真似ないか、

まだ選べたので、西欧以外は

いやがおうでも西欧化を余儀なく

されましたが、真似ないという

選択もあるのに!と、

ユングは警告したかった

のかもしれません。

 

東洋は、回転があり、

西欧は、中心があります。

 

西欧のクライエントの描く

マンダラの中心には、

十字が描かれることが

多く、東洋と同じでは

ありません。

 

マンダラや螺旋の回転も、

西欧人の場合は、右手に

中心を見て進むという

方向がはっきりとあり、

逆回転は、退行や黒魔術として

誤りになってしまうと言っています。

 

夢は、機械を正常に戻して

回転させようとしており、

彼もマンダラで変容しなければ

ならないようです。

 

ユングも、夢見手が逃げずに

夢の勧めに夢見手が従って、

進むことを期待しますが、

なかなか期待通りに

進まないとも言っています。

 

 

夢分析Ⅱ-5-3

夢分析Ⅱの

春学期(13)

第五部の第三講で、

193025日の

セミナーです。

 

前半、質問や議論でうまく

ノートが取れなかったとの

注釈がついています。

 

記録者の方も動転しちゃった

のかもしれませんね。

そうすると記録は止まりやすいです。

 

修理工が夢に複数登場していますが、

たとえば父親の夢を見たとしたら、

それは父親に対する思いなのか!

 

とユングは皆に尋ねます。

親密な関係にある場合、

実際に父親を表わす場合も

あるが、父親イメージを

示している場合もあるのだと

言っています。

 

知り合いの誰々ではなく、

夢の中だけに登場する修理工は、

特定の誰かではないのかもしれません。

 

夢見手が、「心の修理をするユング先生」

と言っていますが、そういう面もあるが、

夢見手の中の治療的な部分でもあり、

 

それをセラピストにだけ

投影してしまっているよりも、

自分に近くなる方が、

より真実に近づくし、

セラピストに頼るより、

自分で癒していけるように

なるので好ましいことだと

言っています。

 

修理工も呼んでいますが、

夢の中で夢見手が、

自分でも問題点を

探ろうとしていたので、

ユングは「はじめて、

やっと夢見手が自分で

取り組もうとした」と

喜び、一条の光が射した

とも言っています。

 

無意識の中の…

「修理」機能を担う部分を

示しているとすれば、

無意識の中には、

自律的なコンプレックスが

あって、独立して動いている

と言います。

 

ユングは裁判所に勤める

伯父の例を出し、意識では

不正を暴けなかったが、

夜中に起きだして書類を

揃えて自身に宛てて示し、

本人は覚えていないので、

たいそう驚いたそうです。

 

夢遊病と書いていますが、

二重人格の片割れのようでもあるし、

僕も昔よく、算数の難問を解いていて、

諦めて普通の生活をしている中で、

急に解答が閃くことがあり、

ある部分が考え続けていてくれていた

んだなあと感じていました。

 

呼吸や歩行、自転車乗りなど、

むしろ考えるとうまく行きにくいが、

自律的に出来てしまうようなものを、

ユングは下位部分と呼び、心理的な

部分を上位部分と呼んでいます。

 

意固地な状態を長期間続けると、

胃の調子が悪くなったり、

狭心症になったり、免疫機能を

低下させてしまったりして、

自分の機械を壊してしまいかねない

と言います。

 

心理的な問題を抱えていたり、

充分に自分を生きられていない人が、

強い死の恐怖に駆られて、

健康マニアになり、酒・煙草は

避け、薬をたくさん飲んだりするが、

過度に気にする人は病気に

なりやすかったりすると言っています。

 

以前の夢で、機械は性を示していて、

どうも夢見手の性的機能が不具合のようです。

 

女性の場合は、性衝動が眠ったままという

場合も珍しくないことや、好奇心から

乱交を繰り返したけど、最後の男性まで

不感症のままだった女性の例をあげています。

 

しかし、男性は強力で衝動的な力が働き、

何らかの充足をしないと、障害が起こり

やすいと警告しています。

 

しかし、夢見手が自身に不具合を

感じていなかったら、神智学者に

なっていたかもしれないと言います。

 

しかし、ビジョンを得ても、

不具合を抱えたままでは、

ビジョンが輝かないことになりかねない

とも言っています。

 

ただ、不具合がなければ、

人生について考えて見ようと

いう動機もなかっただろう

とも言っています。

 

この不具合についての

一つのヒントとして、

以前の夢で蒸気ローラーで

描いたマンダラについて

語り、次回にマンダラに

ついて話すことになります。

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