ヴィジョン・セミナーⅠ-1-4
ヴィジョン・セミナーⅠの
秋期第一部の第四講
1930年11月5日の
セミナーです。
精神病院についての夢8のあと、
断片的な象形文字のような
入眠時ヴィジョンを見たようです。
①差し上げられた手
②光輪のある頭が、再び
③太陽のような炎の球体が、
黒い棒で貫かれている。
④炎が化おの正面に見えていて、
突然口に入って来た。
ユングは、これらは準備的な
ものなので、展開するまで
待っていた方が良いと言います。
①は「手の重要さ」か、
「注目せよ」という
仕草ではないかと言います。
②羊飼いの像の再来ではと。
③についてはないのですが、
④旧約聖書の中で、預言者が
呑み込まなければならない燃える炭火
ではないかと言います。
火と言う創造的な原理が、
彼女の中に入って来て、
滅ぼされるべきものを
滅ぼし、霊感で満たしていく。
これは、預言的なトランスの
はじめに常に生じるヴィジョン
だとユングは言っています。
夢9
「一匹のモグラと一羽のカナリアの
爪を切ってやっていたが、
短く切り過ぎてしまって
痛いのではと心配になった。
誰かが、そのモグラは地中深くに
潜っていくと言っている。
私はカナリアが飛んでいくんじゃと
思って、鳥篭から出したが、
とんでいかなかった」
鳥は空…上方で霊感スビリットで、
思考(頭部)やアニムスを表していますが、
モグラは地下で、下方で腹部を示し、
現世的な欲望や情動・本能を
表しています。
篭の中の鳥は爪を使わないし、
思考機能は飼い馴らして、
野生を排除してしまっています。
しかし、モグラは穴を掘るために
爪を必要としていて、モグラの
爪を切ることは、間違った飼育の
方法になっています。
ここで、ユングはこのセミナーの後に、
行うセミナーのテーマである
クンダリーニ・ヨガの表象について
述べています。
クンダリーニというエネルギーが、
尾てい骨から背中を上昇して行き、
脳天に達して行き、途中のセンター
であるチャクラを開いて行く
という考えと言うか瞑想方法
なのですが、ヨガでは7つの
チャクラがあると言っています。
ここでは「心がどこにあるか」ですが、
欧米人は頭と思っていて、頭は、
心の中でも「思考」を表しています。
口の高さに「感覚」があるという
文化もあるそうです。
心臓に「直観」、腹部に「感情」
があるそうです。この4つに、
眉間と尾てい骨と胃の3つを足して
7つですが、ここでのユングは、
この4つにだけ言与しています。
身体の上部に行くほど意識的で、
個人的ですが、下部に行くほど、
他人と融合して、部族意識の一部と
なります。
分化されていなくて劣等なままだと、
野生的で強力な力を発揮します。
夢見手の彼女は感情が劣等です。
環境と融合しやすく、憑つかれやすく、
周りの雰囲気に振り回されてしまいます。
野生動物や劣等機能とつながる
ためには、相手に合わせて、
相手のやり方を学ぶ必要がある
と言います。
爪を切るべきでない本能や情動の
つめ=野生的な部分を、深く切り過ぎて
いるということに注意を向けています。
すべてが片づけられて引き出しに
仕舞われて、地下の力を殺しています。
インド哲学を引用して、悪い運命に
圧倒されている人は、そのままであると
来世に持ち越されてしまうので、
劣等機能を耳を傾けて、個性化させて、
自分固有の生き方をやり抜く必要があり、
腹部への下降が重要視されていると
述べています。
夢10
「私は中世の雰囲気の群集の中にいて、
跪(ひざまづ)かせている女性を
見てみなさい』と言った。その時、
群衆の上に持ち上げられた一人の
女性を見た。彼女は、青い服を
着て、膝の上で小さな子供が
ひざまづいていた。彼女は腕の中で、
その子を守っていた」
ユングは、「この夢で起こっている
ことは、前の夢と照らし合わさなければ
ならない」と言っています。
モグラが強調された後で、つまり、
彼女はより低く、より時代を遡った
ところに来ています。
頂上の頭部では意識が分化していても、
腹部では古代人で群衆と言う集合的な
状況にいます。心臓でも数百年ぐらい前です。
前の夢で彼女を案内した子羊を抱えた
羊飼いですが、子羊が子どもとなり、
羊飼いが、女性になっていますが、
ユングは、この女性がマリアだと言います。
身ごもった子羊もおり、彼女の劣等機能
である母性本能との接触の必要性を伝えています。
このマリアに絡んで、イタリアのロレトという
街の話をユングがして、まったく知らなかったので、
調べて見ました。
ロレト (Loreto) は長靴の形をした
イタリア半島のふくらはぎのあたり、
アドリア海にほど近いマルケ州
アンコーナ県の町です。
ロレトには、天使によって
ナザレから運ばれてきた
聖母マリアの生家、「聖なる家」
(La Santa Casa) があり、
この小屋を保護するために、
美しいバシリカが建設されています。
「聖なる家」は地表に
置かれているだけで、
地中部分の基礎を
欠いています。
また壁の漆喰及び建物の
床となっている岩石は
ロレト近辺のものではなく、
ナザレにおいて普通に
見られるものであるとも
いわれています。
宗教改革によってカトリック
教会が大きな打撃を受けたと同時に
東ローマ帝国も滅亡し、
オスマン・トルコが勢力を強め、
聖地巡礼が今まで通りには行えなく
なっていたそうです。
「聖なる家」は、聖母が生まれ
育った家であるとともに、
天使ガブリエルから受胎を
告知されたときに住んでいた家でも、
幼な子のイエスと暮らした家でも、
イエスの昇天後に聖母が住んだ家でも、
使徒たちが教会として使った家でも、
あって、家を保護するバシリカが
建てられたそうです。
一度、ナザレからクロアチアの
リエカに運ばれ、再び、1294年に
リエカからロレトまで運ばれたそうです。
ユングが語っていたことに、
肉付けしたような内容が
検索できました。
夢11
「私は刈り入れ機に乗って
小麦を刈っている」
磔になった子を持ったことで、
マリアは剣で貫かれた心臓で
象徴されるそうです。
母性的なことの重要性が
表わされた夢の後で、
小麦の収穫によって報われる
ということを象徴している
と言います。
こういう無意識の導きがあった
時に、意識がその流れを受け入れず、
逆らってしまうと神経症になるのだ
と言っています。
この夢の翌日、彼女は説明のできない
肯定感に包まれ圧倒されます。
彼女は知的でしたが、集合的な
無意識に「開かれて」いて、
非常な傷つきやすさを持っていました。
いろいろなものが届いて来るので、
必死で知性にしがみつかずには
いられなかったのです。
感情にいつたん落ち込んでしまうと、
「自分」が存在しなくなってしまうのでした。
この小麦の夢での肯定感で、
「生れて初めて、私を完全に破壊できない
確固たる足場を手に入れた」と感じたそうです。
元型と接すると大きなエネルギーを
得るそうで、一晩で「世界が違って
見えるようになる」ということも
よくあるのだと言います。
しかし、最大の希望でも最大の危機
でもあり、すべての宗教は元型と接触
するために作られたが、元型に
呑み込まれると「自分」が吹き
飛ばされてしまうこともあると
言います。
翌日の夢12
「誰かが私の頭に黒いベールを
かけていた。私はいつもそれを
つけるように決まっているよう
だった。私は『じゃ、ずっと
つけていることにしましょう』
とつぶやくと、誰かの声がして、
『顔につけるものじゃなくて、
後頭部につけるもの』と聞こえた」
ベールというのは、処女として、
世間から引きこもることで、
男の色欲から美しさや性的魅力を
隠すためのものでもあるが、
表ではなく後頭部…劣等機能で、
暗黒面…大地の下降原理で、
黒魔術や、母性のマイナス面も
含んでいるようです。
顔と言う意識で来ているものは
見せても良いが、隠さねばならないのは
無意識面で、意識で罪と感じたことは
告白することで許されるが、
意識しない悪魔的なものが漏れて
しまうと人に非難されかねません。
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