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2015年8月

ヴィジョン・セミナーⅠ-1-4

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第四講

1930115日の

セミナーです。

 

精神病院についての夢8のあと、

断片的な象形文字のような

入眠時ヴィジョンを見たようです。

 

①差し上げられた手

②光輪のある頭が、再び

③太陽のような炎の球体が、

黒い棒で貫かれている。

④炎が化おの正面に見えていて、

突然口に入って来た。

 

ユングは、これらは準備的な

ものなので、展開するまで

待っていた方が良いと言います。

 

①は「手の重要さ」か、

「注目せよ」という

仕草ではないかと言います。

 

②羊飼いの像の再来ではと。

③についてはないのですが、

④旧約聖書の中で、預言者が

呑み込まなければならない燃える炭火

ではないかと言います。

 

火と言う創造的な原理が、

彼女の中に入って来て、

滅ぼされるべきものを

滅ぼし、霊感で満たしていく。

これは、預言的なトランスの

はじめに常に生じるヴィジョン

だとユングは言っています。

 

9

「一匹のモグラと一羽のカナリアの

爪を切ってやっていたが、

短く切り過ぎてしまって

痛いのではと心配になった。

誰かが、そのモグラは地中深くに

潜っていくと言っている。

私はカナリアが飛んでいくんじゃと

思って、鳥篭から出したが、

とんでいかなかった」

 

鳥は空…上方で霊感スビリットで、

思考(頭部)やアニムスを表していますが、

モグラは地下で、下方で腹部を示し、

現世的な欲望や情動・本能を

表しています。

 

篭の中の鳥は爪を使わないし、

思考機能は飼い馴らして、

野生を排除してしまっています。

 

しかし、モグラは穴を掘るために

爪を必要としていて、モグラの

爪を切ることは、間違った飼育の

方法になっています。

 

ここで、ユングはこのセミナーの後に、

行うセミナーのテーマである

クンダリーニ・ヨガの表象について

述べています。

 

クンダリーニというエネルギーが、

尾てい骨から背中を上昇して行き、

脳天に達して行き、途中のセンター

であるチャクラを開いて行く

という考えと言うか瞑想方法

なのですが、ヨガでは7つの

チャクラがあると言っています。

 

ここでは「心がどこにあるか」ですが、

欧米人は頭と思っていて、頭は、

心の中でも「思考」を表しています。

 

口の高さに「感覚」があるという

文化もあるそうです。

心臓に「直観」、腹部に「感情」

があるそうです。この4つに、

眉間と尾てい骨と胃の3つを足して

7つですが、ここでのユングは、

この4つにだけ言与しています。

 

身体の上部に行くほど意識的で、

個人的ですが、下部に行くほど、

他人と融合して、部族意識の一部と

なります。

 

分化されていなくて劣等なままだと、

野生的で強力な力を発揮します。

 

夢見手の彼女は感情が劣等です。

環境と融合しやすく、憑つかれやすく、

周りの雰囲気に振り回されてしまいます。

 

野生動物や劣等機能とつながる

ためには、相手に合わせて、

相手のやり方を学ぶ必要がある

と言います。

 

爪を切るべきでない本能や情動の

つめ=野生的な部分を、深く切り過ぎて

いるということに注意を向けています。

 

すべてが片づけられて引き出しに

仕舞われて、地下の力を殺しています。

 

インド哲学を引用して、悪い運命に

圧倒されている人は、そのままであると

来世に持ち越されてしまうので、

劣等機能を耳を傾けて、個性化させて、

自分固有の生き方をやり抜く必要があり、

腹部への下降が重要視されていると

述べています。

 

10

「私は中世の雰囲気の群集の中にいて、

誰かが『自分の膝の上で、子どもを

(ひざまづ)かせている女性を

見てみなさい』と言った。その時、

群衆の上に持ち上げられた一人の

女性を見た。彼女は、青い服を

着て、膝の上で小さな子供が

ひざまづいていた。彼女は腕の中で、

その子を守っていた」

 

ユングは、「この夢で起こっている

ことは、前の夢と照らし合わさなければ

ならない」と言っています。

 

モグラが強調された後で、つまり、

彼女はより低く、より時代を遡った

ところに来ています。

 

頂上の頭部では意識が分化していても、

腹部では古代人で群衆と言う集合的な

状況にいます。心臓でも数百年ぐらい前です。

 

前の夢で彼女を案内した子羊を抱えた

羊飼いですが、子羊が子どもとなり、

羊飼いが、女性になっていますが、

ユングは、この女性がマリアだと言います。

 

身ごもった子羊もおり、彼女の劣等機能

である母性本能との接触の必要性を伝えています。

 

このマリアに絡んで、イタリアのロレトという

街の話をユングがして、まったく知らなかったので、

調べて見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロレト (Loreto) は長靴の形をした

イタリア半島のふくらはぎのあたり、

アドリア海にほど近いマルケ州

アンコーナ県の町です。

ロレトには、天使によって

ナザレから運ばれてきた

聖母マリアの生家、「聖なる家」

(La Santa Casa) があり、

この小屋を保護するために、

美しいバシリカが建設されています。

 

「聖なる家」は地表に

置かれているだけで、

地中部分の基礎を

欠いています。

 

また壁の漆喰及び建物の

床となっている岩石は

ロレト近辺のものではなく、

ナザレにおいて普通に

見られるものであるとも

いわれています。

 

宗教改革によってカトリック

教会が大きな打撃を受けたと同時に

東ローマ帝国も滅亡し、

オスマン・トルコが勢力を強め、

聖地巡礼が今まで通りには行えなく

なっていたそうです。

 

「聖なる家」は、聖母が生まれ

育った家であるとともに、

天使ガブリエルから受胎を

告知されたときに住んでいた家でも、

幼な子のイエスと暮らした家でも、

イエスの昇天後に聖母が住んだ家でも、

使徒たちが教会として使った家でも、

あって、家を保護するバシリカが

建てられたそうです。

 

一度、ナザレからクロアチアの

リエカに運ばれ、再び、1294年に

リエカからロレトまで運ばれたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユングが語っていたことに、

肉付けしたような内容が

検索できました。

 

11

「私は刈り入れ機に乗って

小麦を刈っている」

 

磔になった子を持ったことで、

マリアは剣で貫かれた心臓で

象徴されるそうです。

 

母性的なことの重要性が

表わされた夢の後で、

小麦の収穫によって報われる

ということを象徴している

と言います。

 

こういう無意識の導きがあった

時に、意識がその流れを受け入れず、

逆らってしまうと神経症になるのだ

と言っています。

 

この夢の翌日、彼女は説明のできない

肯定感に包まれ圧倒されます。

 

彼女は知的でしたが、集合的な

無意識に「開かれて」いて、

非常な傷つきやすさを持っていました。

 

いろいろなものが届いて来るので、

必死で知性にしがみつかずには

いられなかったのです。

 

感情にいつたん落ち込んでしまうと、

「自分」が存在しなくなってしまうのでした。

 

この小麦の夢での肯定感で、

「生れて初めて、私を完全に破壊できない

確固たる足場を手に入れた」と感じたそうです。

 

元型と接すると大きなエネルギーを

得るそうで、一晩で「世界が違って

見えるようになる」ということも

よくあるのだと言います。

 

しかし、最大の希望でも最大の危機

でもあり、すべての宗教は元型と接触

するために作られたが、元型に

呑み込まれると「自分」が吹き

飛ばされてしまうこともあると

言います。

 

翌日の夢12

「誰かが私の頭に黒いベールを

かけていた。私はいつもそれを

つけるように決まっているよう

だった。私は『じゃ、ずっと

つけていることにしましょう』

とつぶやくと、誰かの声がして、

『顔につけるものじゃなくて、

後頭部につけるもの』と聞こえた」

 

ベールというのは、処女として、

世間から引きこもることで、

男の色欲から美しさや性的魅力を

隠すためのものでもあるが、

表ではなく後頭部…劣等機能で、

暗黒面…大地の下降原理で、

黒魔術や、母性のマイナス面も

含んでいるようです。

 

顔と言う意識で来ているものは

見せても良いが、隠さねばならないのは

無意識面で、意識で罪と感じたことは

告白することで許されるが、

意識しない悪魔的なものが漏れて

しまうと人に非難されかねません。

ヴィジョン・セミナーⅠ-1-3

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期)第一部の第三講

19301029日の

セミナーです。

 

沢山の夢を見ていないと、

象徴に対しての特別な識別感覚が

育たないと言います。

 

電車・車・自宅・両親・知り合いも、

出て来なくて、日常にはない

「龍」や「神殿」という明らかに

神話的なものが出て来る場合は、

無意識が特別さを伝えています。

 

識別感覚がある人からは、

「四つの谷から集まる」という

モチーフは、神話的で

尋常ではないと即座に感じる

と言っています。

 

夢のイメージは儚く、

すぐに消えてしまいやすいので、

絵を描くことがイマジネーションを助け、

ヴィジョンや連想・文脈・素材を

含んでいます。

 

絵の下手な人の、

おかしな絵の歪みが

別のものにも

見えたりしたことが、

突然本当の意味に

気づくキッカケにも

なることもあるのです。

 

その絵を「芸術」とは

考えていません。

 

あくまでも、テーマを

説明するための図や

観念の視覚化に目的が

あり、仕上がりばかりに

エネルギーを注ぐという

よりも、描きとめておく

ことに意味があります。

 

神話的なモチーフは、

未開人や東洋では、

「大きなヴィジョン」と呼ばれ、

偉大な人だけがみる…か、

あるいは見た人は偉大になる

とも言われているほど、

特別視されていて、

予言的とも言われています。

 

部族の命を導いて貰う呪医がいて、

グリーン・ランドのエスキモーの

話で、呪医が対岸の島に移住すべし、

というヴィジョンを見て、

信じたも半分の人は助かり、

信じなかった半分は飢えて死に

ました。千里眼なのです。

 

夢見手はプロテスタント的な

観点が行き詰っていたという

問題を持っていました。

 

ただ、プロテスタントも、

分析して行くとカトリックの層が

出て来ます。皆、そこから改宗して

来たので、皆、原始キリスト教にも

つながっています。

 

夢見手はまったく意識していない

ようなことですが、羊は、

キリスト教の起源にも関係しています。

 

異国からヨーロッパに来て、

教会を見て廻ると、きっと、

動物崇拝の宗教だと思うでしょう。

 

新約聖書成立時に、「羊飼い」とか、

牧者と呼ばれていました。

 

ギリシャ神話のオルペウスが、

キリストのモデルであると

言われています。

 

ディオニソスの秘儀で重要な

役割を果たし羊飼いとか、

漁夫とも呼ばれていました。

 

また、荒々しい情熱を表わす

動物を、繊細な音楽で飼い馴らす

という側面もあります。

 

案内役の男の見つけた足を引きづる羊と、

夢見手の見つけた妊娠している子羊

という対称性が超個人的です。

 

群から異常のある羊をより分ける

のは、羊飼いの基本でもあります。

 

動物は、常に本能的な諸力を

表わしていまして、キリスト教も

つねに変遷して来ていて、

奮えて冷たくなりかけて、

死に瀕した状態なのです。

 

羊の群…本能の中で、

片足を引きづり…ちゃんと

自立できていないで、

子羊なのに…つまり、

成熟できていないのに

妊娠して…新しい可能性は

はらんでいますが、

産むことはできない

可能性も大きいです。

 

この夢を分析をする前に、

この夢で強い倦怠感を感じ、

横になると四つのヴィジョンを

みています。

 

この太陽車輪の手前に

車輪の中心に顔がきて、

首と肩のシルエットが

ヴィジョンの後、

彼女は眠りに落ちて

夢を見ます。

 

6「故郷に向かって車を

走らせながら、ガソリンが

足りない心配をしながら、

道もわからなくて、

やっと苦労して道を

見つけたのですが、

男の声で『他の車は皆

ここを走っていて、

君だけが違う道を進んで、

わからなかったという

言い訳は通用しないよ』

と言われて夢が終わる。

 

この同じ夢を、その日の

夜にも繰り返し見ていて、

こういう現象は、よほど

無意識が意識に注意して

欲しいので反復したのだろうと

ユングは言っています。

 

ユングは「万人の故郷」

であるエルサレムを連想し、

「四つの谷が集まる場所」

でもある点で、前の夢5

ともつながっています。

 

ガソリンの心配は、

そこまで辿り着ける

エネルギーや意志力が

充分かどうか心許なさを

表わしていると言います。

 

意識では、我々は簡単に

無神論者や自由主義者に

なれるけれど、

無意識では中世を

引きづっていて、

人間の元は罪深く、

地獄の業火で、なので、

わかっていても避けて

しまうのだと説明して

います。

 

7「大嵐の海で、

船室に入ったら、

幼い少年が具合が

悪そうで看護師に

抱っこされていた。

私が海で気分が

悪くならなかったのは

初めてだと思いながら、

波を見るために窓の

近くへ歩いて行った」

 

わかっているのに

正しい道を避けたくなるのは、

大荒れの風と波の大嵐の海の

大変さを知っていたからです。

 

船室に入っていますが、

それまでは外にいて、

デッキの上にいたのでしょう。

 

外にいるということは、

外に人に投影することを

表わしていて、この夢見手は

自分自身の混乱を、

両親や姉、夫や知り合いの

せいにして来ています。

 

本人は、初めて船酔いを

せずに済んでいます。

 

はじめて、内なる海に

向かっても冷静で、

怯えたり混乱せず、

客観性や意識性を手に

入れています。

 

周りじゃなくて、自分の

内界に嵐があった自覚が、

この重大な変化をもたらした

と言っています。

今までは、自分が病気に

なってしまって混乱して、

状況を見る冷静さはありません

でしたが、足を引きづる羊や、

妊娠した子羊が今度は、

船酔いの男の子の姿で

現われました。

 

彼女には実際に幼い息子がおり、

彼女が今までに成し遂げたもの

も示していると言っています。

 

8「壁で囲まれた広い敷地の

周りを車で走っていたが、

見知らぬ男に、それが

精神病院であることを

聞いて混乱したが、その声に

『注意しろ』と言われます」。

 

故郷に戻る為に、精神病院の

近くを通らなきゃいけなかった

ために、あれほど避けようと

したのです。

 

法が守られ、善良で暖かい

家族や共同体が、すべて

常に秩序だっていなければ

いけないという、

プロテスタント的合理性を

前提とするために、

精神病に怯えてしまうのです。

 

第三講はここで終わっています。

 

ヴィジョン・セミナーⅠ-1-2

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第二講で

19301022日の

セミナーです。

 

前回の第一講で紹介された

ヴィジョン1については解釈が

語られましたが、次は

ヴィジョン2からです。

 

穴のあいた靴ですが、

大人になる為に、子どもの

衣服を脱ぎ捨てる…脱皮に

近いことが靴で起こっています。

 

靴は、衣服の中でも、

粗い地面でも容易に動けるように

足や自身を守る役割をしています。

 

意識というのは、気がつかないと、

以前に有効だった適応の仕方が、

有効でなくなってもしがみついたり、

今までのやり方でやろうとして

しまうらしいのですが、もう、

大きな穴があいて「履けなく」

なっているのです。

 

無意識や本能・元型が、

新しいものと取り換えなきゃ

いけないと伝えています。

 

気づいて意識できると、

取り換えて行くことも

できるとユングは言います。

 

その次に夢3ですが、

隙間があって場面が変わる前の

はじめの場面だけを紹介しています。

 

3「寝室にいると、窓から

女性が入って来て、『この建物は

火事になっています。気がつかなかった

のですか?』と聞いてきます。

夢見手は『だって、私の部屋は

とても静かですもの』と答えた」

 

この簡潔なテキストに欺かれては

なりません…とユングは言います。

夢見手は、ユングに言われてメモを

とったというだけで、情動的な

細部に立ち入る煩わしさを省いています。

 

ユングが気づいてくれると信じての

ことで、ユングが補わなければ

ならなかったのです。

 

夢見手は寝室…眠っているか

くつろいでいて、事態にまったく

気づいていません。

 

もし現実なら、玄関ではなく

窓から知らない人間が入って

来たら、人殺しか泥棒か幽霊か

とにかくとても恐ろしいはずです。

 

夢の中では、意識が部分的にしか

目覚めていないので、そういう

ことに反応する力がないのです。

 

夢見手が、まったく気づいて

いなかった火事であるという

ことを警告してくれています。

 

しかし、言われても冷静で、

「この部屋は静かです」と

言うだけで、まだ状況を

理解していません。

 

分析が始まって一ヶ月半、

新しい動きが始まりつつ

あります。

 

古い靴が擦り切れて、

何かあたらしいものが

入ってきています。

 

火事だというニュースを

伝えて来ています。

 

靴と家は両方とも、

人間を外界に対して

包んで守るための

適応のシステムです。

 

靴は、地面の危険に対しての

守りだけですが、家は、

レインコートの役割も兼ね、

風雨や動物などからも

人間を守っています。

そういう適応システムが、

火によって危機に瀕しています。

 

家には、地下室や屋根もあり、

屋根はもつとも高いところに

あり遠くまで見通せます。

鳥がとまったりして、遠くの

情報が入る場所でもあります。

 

夢見手が「自分の部屋は静かだ」と

火事であることをすぐには、

受け入れようとしませんが、

ユングは「知性」という屋根裏に

引きこもっている人に

現われやすい象徴だと言います。

 

分析をしていない人の見る夢は、

体裁の整った普通の夢を見ますが、

分析が始まると、美しさは

消えて、恐ろしい夢にガラッと

変わって行きます。

 

分析が始まって、夢見手の進む

方向性が、今までと違って来ての

混乱が起こり始めます。

今までの部分と新しい部分が

二つに分かれ、解離し始めます。

 

この夢見手も、今までの

適応システムが破滅に瀕している

ということに気づき始めています。

 

でも破壊が、地震でも洪水でもなく、

どうして火事なのか?

 

フロイトは、数万種類の象徴を

ただ男性器か女性器かの二つに

分けて考えてしまいますが、

ユングは、何故違うことで

夢が表現しようとしているかを

大切に考えたいと言います。

 

昼間に起こって印象的な出来事を

夢に見るという人がいるが、

交通事故を目撃したとしても、

必ずそれを夢に見るとは

限らなくて、その人の心理を

表現するのに適切な時にのみ、

取り入れているということを

強調しています。

 

また、見たこともないような

ものも、夢に登場しますが、

 

たとえば、現実に村から

出たことのないような人が、

アフリカにいる鳥を見て、

「こんな鳥は、今まで

見たことがないので、

こんな鳥はいる訳がない」と

言っても、現実に存在するのに

否定しても仕方がないのと

同じぐらい、夢に出て来たものを

「間違い」とかと否定するのは、

現実否認だと言います。

 

意識は、勝手にものごとを

想像したり、作り上げることも

できますが、夢や無意識から

出てきたものは生理現象というか、

自然が生み出したもので、

どう考えるかは別として、

否定するものではありません。

 

僕もクライエントに、

行動や判断には責任が伴うが、

感覚で感じたことは、

生理現象で感じたことで、

「この人嫌い」とか、

…だから意地悪とか、

相手に不都合なことをして

良いわけではありませんが、

感じた嫌悪感は…それを

行動に移しても良いという

意味ではありませんが、

感じたということは

否定してはいけないと

言っています。

 

何故、火事か…洪水は

どこからか水が来て

破壊しますが、

火事は材木そのものが、

熱や他の火に影響されて

ではありますが、

自らが燃えて行きます。

 

すでに火事になっていた

ことを伝えられているので、

少し前に起こっています。

火は情熱です。

 

家と言っても、地下室から

屋根裏部屋まであり、

意識との距離はさまざまな

層から成り立っています。

 

 トーテム動物や神の層。

 英雄や半神の層。

 ホロメスの時代の層。

 普通の人間の層。

 

西洋では日曜日に盛装して

一時間とかを教会で

過ごすだけですが、

 

そして、私たちは、

自分が神ではなく、

ふつうの人間だと

よくわかっています。

 

未開の人は儀式の

中に入って行くために、

普段とは違って、

神やトーテムの動物とも

繋がっているような

高い境地に自分を

高めようとして、

祖先と同一化します。

 

儀式の後には普段の自分に戻りますが、

その間に宇宙的なエネルギーを

受け取ることが出来ます。

 

普段の自分では神と

接触できませんが、

祖先と同一化することで

橋渡しができるのです。

 

この夢でも屋根裏部屋に

しがみついていれば、

静かなままでいられますが、

無意識のいろいろな層から

警報が伝えられますが、

 

その層の次元の自分を

生きてみないと、

そのいろいろな層からの

メッセージを経験する

ことまではできません。

 

火は、光や色彩だけではなく、

破壊や解体でもあって、

建物が煙と灰に変わります。

 

宗教的な多くの儀式で、

火は大きな役割を果たして来ています。

 

4「隣の部屋にスイス人の少年を

待たせて服を着ていたが、まだ

きちんと服を着ないまま、

待っている彼の部屋に行って、

『私の習った曲を弾くわよ』というが、

少年は『僕をこんなに待たせたんだから、

僕が教えないといけないことを学んでよ』

と言った」

 

スイス人なのでユングのことだと

結びつけて考える人が多いが、

少年ではないし、思ったより

小さくてガッカリしたという夢でも

なさそうで、違う感じです。

 

スイスに来てから、分析を

学び始めた彼女の新しい自分の

アニムスを表わしています。

 

そのアニムスが、音楽=感情の

レッスンを始めます。

 

子どもや未開人などの意識を

持っていないと自然で素朴な

心しか持っていません。

 

しかし、意識を獲得すると

分化が生じて来て選択できる

ようになってきます。

 

感情が分化すると思考が、

思考が分化すると感情が

劣等機能になります。

 

劣等と言うと弱いと

考えがちですが、

自我との連携が弱いだけで、

むしろコントロールが

できない分、野蛮で

衝動的でもあります。

 

彼女は思考だけに偏り過ぎて

両機能のバランスが崩壊して

いくことになります。

 

崩れた感情がわめくことは、

分化機能からは余計に

馬鹿げて邪悪に感じられます。

 

取り入れようがないと感じて、

感情をとにかく否定しますが、

無味乾燥で不毛なままです。

 

少年…そんなに重要じゃないし、

アコーディオンは農民の音楽で、

クラシックのように高尚でも

なさそうです。

 

感情にもっと注意を払うことを

伝えていますねと、解釈を

伝えることで、セラピストの

手柄ではなく、夢見手の手柄として

敬意を表さないと、セラピストへの

投影を勧めることになってしまい、

後で厄介なことになります。

 

ちゃんと着替え終わっていないのは、

まだ、そのメッセージを受け取れる

ほど、準備が整っていないことを

表わしています。

 

「私の習った」…従来の思考のやり方で

良いのだという態度です。まだ、自分の

意識が中心になって感情を動かそうとしています。

 

感情に注意を払い、そこから学ぶ

必要があるのです。少年には、

こちらの操るままに動くのではなく、

自律性があって、その動きを尊重していく

ことが必要なのです。

 

次の日の夢(この一連の変化が一週間で起こっています)

5「男と舟に乗っていて、男は『私たちは

湖の果てまで行かねばならない。そこには、

四つの谷が集まっており、羊の群が水辺に

降りて来る』と言い、そこに着くと羊の群から、

足を引きづる羊を彼が、幼いのに妊娠した子羊を

私が見つけ、その二頭を舟に運んだ。二匹の羊は、

寒さに震えていて、男が『死ぬかもしれない』

というので、私は毛布で包んだ」

 

感情(音楽)の先生であったアニムスが、

今度は「舵をとる」導き手になっています。

行かなければならないという必然性があります。

 

生命の水を飲みに降りて来る神聖な場所で、

四方向から川が流れ、東西南北の四方から

流れ込むセンター的な場所でもあります。

 

イエスが生れた時、四方向から賢者が

祝福に来ますが、四番目の賢者が

間に合わなかったため三方からに

なっています。

 

ただ、キリスト教だけではなく、

中国・インド・インディアンでも、

4は神聖な数字として崇められています。

 

マヤのユカタン半島のいたるところに、

血まみれの生贄と十字架があり、

伝播ではなく根本的な象徴が、

元型として共通だからです。

 

しかし、スペイン人は、

悪魔が伝えたものだとして、

破壊し尽くしました。

 

第二講はここで終わっています。

次回は、一頭が「足を引きづり」

一頭が「妊娠」していることに

ついて話しましょうと言って

終わりました。

ヴィジョン・セミナーⅠ-1-1

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第一講で

19301015日の

セミナーです。

 

秋学期から、ずっと秋・冬・春、

そしてまた秋・冬・春とⅡ巻まで

続いていきます。

 

また、別冊があり、原注や訳注と、

大阪大学の老松克博先生による

アクティヴ・イマジネーションに

ついての解説…ちなみに一回だけですが

この老松先生に、アクティヴ・イマジネーション

の実習を受けたこともありました。

 

それと、ソヌ・シャムダサーニという

インド系イギリス人の心理学史学者の

解説もあります。この人は、ユングの

アクティヴ・イマジネーションを紹介した

「赤の書」の解説も書いています。

 

先に別冊の方がわかりやすいかとも

思いますが、本論にまず入って

みたいと思い、今回は、

その第一講に入っていきます。

 

「超越機能の発展」について述べる

とは言っていますが、出だしから、

ユングの言いたいことが難しくて

理解しがたい面も多いですが、

 

「決まったやり方や方法がある」という

誤解をしないで欲しいということを、

まず強調しています。

 

たとえば、とてもハッキリした夢だと

感じたのに、起きた意識でそれを記録

しようとしても、すごく難しいことが

あるが、「絵や図になら描きやすい」

ということがあるということを言います。

 

僕個人は、絵や図を描き加えることは

ありますが、絵や図だけということは

まだないように思います。

 

何らかの「表現」として、心の中の

モヤモヤしたものというだけでなく、

絵や、文字による説明でも、外的な

現実の世界で、「記録」が存在する

ことになります。

 

もし、その夢をすっかり忘れても、

「記録」を見れば思い出し蘇ります。

 

なので、経験を具体化するように、

その一つとしての描画を励ます

ことはあると言いますが、確立した

「方法」としては、あるわけでは

ないということを言います。

 

そういう外的な具体化がないと、

多くの人が知らないうちに、

「なかったこと」にしてしまう

と言います。

 

それと、本人は自覚しないが、

外から見ると見える場合があり、

ある患者が、ある老人のことを

うやうやしく語るけど、

本当は馬鹿にしている感じが

伝わってくるが、本人に言っても

認めようとしないそうです。

 

また、ある精神科医が、夢で、

ある患者をさんざん殴りつける

という夢を見、ユングが

その患者に対して、憤りや

怒りの感情があるのではと

指摘しても、そんな思いは

まったくないと否定する。

 

本人に、認めると都合の悪いことは、

なかったことにして忘れてしまおう

とする…そういう力で、内的な

現実を消してしまわないためにも、

外的に現実化する子とが大切と。

 

方法で一般化して示すよりも、

一連の夢が絵になったケースを

話しますという形で始まります。

 

事例は、知的で直感力もある

30歳の女性だと言います。

 

ただ、個人的詳細は

重要ではないので、

省きますとのことです。

 

私たちは外観に囚われ過ぎて、

真の問題を見えにくくさせる

からだとも言います。

 

この場合は女性だが、

男性の場合でも同じだとも

強調しています。

 

思考機能だけを一方的に

発達させたために、

感情機能が劣等で

未分化なままで、

状況を仮設的に

考えることはできるが、

仮設的に感じることは

できなかったそうです。

 

知的合理性とあわない

側面を長い間抑圧して、

人生の多くのチャンスを

失って来た人で、

知的に高いために、

他の人と考えている

ことが違い、孤独に

苦しんでもいたと

言っています。

 

結婚はしていましたが、

感情が知性の高さまで

達していなくて、

うまく関係性を生きられず、

法的には結婚していたが、

心理的にまでは至って

いなかったそうです。

 

知性に圧倒されて消えていた

感情が夫ではないある男性に

投影されて、神秘的融即や、

魔術的魅惑に戸惑っていたが、

道徳的に抑圧しようとしたり、

なかったと思い込もうとしたり、

いろいろ試したが駄目で、

途方に暮れてユングに助けを

求めに来たそうです。

 

その求め方は、自分が探って行く

というよりは、ユングを呪医として、

奇跡を求める未開女性のようだった

そうです。

 

ただこのことは彼女が考えていた

破壊的なことではなく、超越的で

彼女に起こりえる最善の動きでも

あるとユングは言います。

 

時代によって、意識の下す答えは

違って来たが、愛の、ありふれた

典型的な状況だと言います。

 

例としてマルチン・ルターを

取り上げ、ルター自身も二人の

正式な妻がいたが、三人の妻を

持つ友人に、「妻が駄目なら、

召使いを雇えばいい」と助言

したそうです。

 

人間の意識というのは、

適応のために現実を処理するもので、

それは外的な現実だけでなく、

内的な現実にも対応するのだと

言います。

 

一夫多妻だったり、

召使い…という形で、

夫婦関係の問題を解決

してきたという人々も

いたと言いたいのでしょうか。

 

砂漠を旅しているように、

どちらの方向にも道が

あるような状況だが、

太古から何百万人の人間が

同じ経験をして来ているので、

迷わないためには、先人の

道しるべを参考にしていく

という方法もあるそうです。

 

太古からの知恵の例として、

おとぎ話で、ある男が罠に

はまって小人に捕まり、

脱出不可能なところに

閉じ込められた場合に、

夜中に逃げ出す方法を

二十日鼠が教えてくれた

という話をします。

 

そういう破局しか予測できない

状況では、人間の本能的・

動物的な力を利用することが

大切だと言っています。

 

ということで、ユングは

この女性に、夢を通して

現われて来る無意識の知恵を

探ることを提案しました。

 

はじめは、いつものように

小さな抵抗や誤った態度も

あったりもしたし、一段落

するまでは個人的な内容が

優勢だったそうですが、

夢がもっと根本的なことに

触れるようになって来た時点の、

夢から「はじめましょう」とのことです。

 

1「音楽を演奏しようと

していたら、家族皆が邪魔を

して来ます。その時、隣にいた

裕福なユダヤ人が演奏を始め、

それがあまりにも美しかったので、

演奏をやめて彼の演奏に

聴きいった」という夢です。

 

音楽は感情機能を表わしています。

昼間の彼女は、思考がメインで、

感情は無意識の中ですが、

夢は昼間の態度を補償する

という面があると言います。

 

愛を生きようとすることに、

因襲的な家族が反対します。

 

彼女の家族はプロテスタントの

清教徒だが、それだけでは

彼女は演奏をやめませんが、

自分よりも上手で権威のある

人の演奏の方が諦めてしまうのです。

 

カトリックは、いろいろなものを

同化して寛容な面もあるが、

プロテスタントは律法に厳格で、

違うものを容易には認めません。

 

意識は新約聖書ですが、

無意識では旧約聖書が

基盤になっていて、

皆がヘブライ語の

ミドル・ネームを持って

いたりもします。

 

そういう側面もある

アニムスであることは

明らかです。

 

アニムスの犠牲になっている

女性は、何かにつけ意見があり、

こっちが「そうですね」と

同意するとガッカリしてしまう。

 

しかし、「いいえ」と言うと、

戦いを待ち望んで敵を作り

たがっているアニムスが

大騒ぎを始めます。

 

裕福で権威も権力も持つ

このユダヤ人が彼女の

感情を支配しています。

 

ユングは女性の分析をすると、

しばらくは極めてスムーズに

進んで行くがある時点で、

アニムスが現われて議論を始め、

今までのこともひっくり返して

しまうそうです。

 

「自分の感情にちゃんと

向きあっていないので、

無意識になった感情を餌に

アニムスが育って議論を

始めたようですね」と

注意をするそうです。

 

たとえば、ある女性が、

ユングに花を贈りたいという

女性的な感情が芽生えるが、

他にも花を贈る女性は

たくさんいる…だつたら

どうして私がそんなこと!

と浮かんだ感情を無視してしまうと、

アニムスの餌になってしまうのだと

言っています。

 

男にできる唯一のことは、

彼女の意見に同意して、

失望させることだと言います。

 

その方が、自分が良くない

何かに操られていたと気づき

やすいようです。

 

分化機能と劣等機能が極端な

ほど、アニマ・アニムスは

神や魔物のごとく強い力を

発揮しやすいようです。

 

「そのユダヤ人をアニムス

として崇拝するのではなく、

演奏をやめさせるのは無作法だと

怒って、従うべきじゃない」

とユングは彼女に伝えたそうです。

 

その夜に夢2を見ています。

2「私は海辺の方に住む

医師に会いに行こうとしたが、

迷っていろいろな人に聞いて、

やっと彼のところに辿り着けた」

 

フロイト的な観点なら、

ユングに治療を受けに来ていて

夢の中に医師が出て来たら、

それはユングのことだと言う

だろうが、もう二ヵ月間も

治療していてユングのところに

来るのに道に迷うはずはない

と言います。

 

呪医は人里離れた怪しく魅惑的な

ところに住んでいて、見つけにくいのも

その価値を高めたりする。

近くの権威者よりも隣町隣国の権威者を

呼んで来る方が権威が高まったりする。

 

フロイトなら、願望充足や抵抗と呼ぶ。

私たちは、効率的な意識の力にプライドと

幻想を抱いていて、無意識にはウンザリ

させられていて、そこに道筋を見つけて

行くということは新しい経験だし、

疑惑と不快をに感じています。

 

彼女に投影された呪医の役割を

まず降りないと、材料だけは提供

するけど、導くのはセラピストだ

という思いのままになり、

うまくいかないとセラピストのせいだ

ということになり、しがみつかれて

痛い思いをして来たのだと言います。

 

音楽家で現われたアニムスが、

今度は医師の姿になり、今後も

いろいろな姿で登場するでしょう

と伝えたそうです。

 

その日、彼女は帰宅してすぐに

強い眠気を感じ横になりますが。

ウトウトするだけで、次の二つの

ヴィジョンを偶然に見ました。

 

ヴィジョン1「美しい孔雀が、

男の背中にとまり、くちばし()

男の首に向けられていた」

 

そこでイメージが消え、

もう一つが現われて来ました。

 

ヴィジョン2「自分自身を

見ていたが、大きな穴の

あいた靴を眺めていた。

『こんなに擦り切れていて

もう履けない』と思った」

 

この二つはまったく自発的な

ヴィジョンでした。

 

連想を求めると、「豪華な色合いの…」

と孔雀の説明を始めるが、ユングは

夢見手の表現したいことを汲み取ろうと

聴いて行くと、きらめくような美しさと、

開かれて行く感じがしたそうです。

 

初期キリスト教会では、孔雀は「復活」の象徴でした。

冬に羽を失うが春の太陽とともに再び羽が生えるので、

「再生」「魂の復活」「救い主」「朽ちない肉体」や

「春」「日の出」も表わしていると言います。

 

「東洋では…」とユングは説明していますが、

この東洋がどこを指しているのか僕には

よくわかりませんでした。日本や中国のことか、

インドあたりのことか、それともオリエントという

のも東洋と言う意味なので、イラン・イラクぐらい

のことなのかといろいろ考えました。

 

とにかく東洋では、傲慢で神に従おうとしない

「悪魔」を表わしているのだと言います。

 

ただ、18世紀の西欧でも、災害などが続くと、

良い神への祈りが役に立たないとして、

悪魔を崇拝する黒ミサ(キリストの儀式を

逆に行っていく)が生れて来ることと類似

していると言っています。

 

また、背中と言うのは常に無意識を

象徴しているそうです。よく、夜道で

誰かにつきまとわれているような感覚に

なるのも、「影」の存在と関係があり、

守護霊や憑りつく霊でもあり、

未開部族などでは、影を踏まれると

死ぬとかというところもあるそうです。

 

男の背後には、男を操る憑りついた

新しい原理…孔雀霊で、春・美・

開け・創造などがあるようです。

 

くちばしを首につけており、

男が意に沿わない間違った動きをすれば

孔雀はその男を殺すこともできるようです。

 

ユダヤ人や医師で表わされて来た

アニムスが、背後に創造や再生の

霊ともつながっています。

 

彼女が、この今後も変化して、

いろいろな男性像を現われてくる

アニムスと正しい関係を保つなら、

夢見手は再生することが

できるということを示している

とユングは言って、ここで

第一講は終わっています。

 

 

 

 

 

 

 

ヴィジョン・セミナーⅠ-0-0

次は、前回の夢分析と同様の

ユングによるセミナーの記録で、

夢分析のセミナーが

1930625日で

終わっていますが、

19301015日から

ヴィジョン・セミナーが

始まっています。

 

Ⅰで第五部まであり、

Ⅱで第六部まであり、

1934214日まで

セミナーは続きます。

 

僕が、このユングのセミナー・シリーズを

自分で要約して解説して、読み込もうと

思い立ったキッカケは、2011年月日に

出版されたユングの「赤の書」という

円もした大きな本を購入して、

それをいつか読み込むための

下調べのためです。

 

この赤の書は、ユングがフロイトと

袂を分けた後のユングの精神的な

危機をユング自身が乗り越えるために、

アクティヴ・イマジネーションと

後に名づけた…つもり、夢のような

白昼夢のようなものを、

ユングは空想しつつ、つまり

起きた状態で行うので、夢よりも

意識に統合して行きやすい方法を

編み出して、初めは「黒の書」に

綴り、それを清書したり、自身で

解釈を加えたりして、洗練させて

いったものが「赤の書」です。

 

「赤の書」はもつい最近まで

ユング研究所である一定の段階に

達したものしか読むことを許されない

奥義書でした。

 

アクティヴ・イマジネーションの

実際をユング自身が詳細に

解説するという試みがこの

ヴィジョン・セミナーでした。

 

この本も、1997年にやっと

出版されて、日本語訳が創元社から出版

されたのは、20111220日です。

 

この本の序を書いている

クレア・ダグラスによると、

1911年に「リビードーの

変容と象徴」という本

…この本も、そのうち

手に入れてぜひ読みたいのですが…

 

その本の中で、ユングが

フランク・ミラー嬢の

ファンタジー分析をして

見せているそうです。

 

ただ、このヴィジョン・セミナーの

魅力は、それだけではなく、

このセミナーのヴィジョンの

題材を提供している被検者も

ちょっとスキャンダラスな女性で、

クリスティアナ・モーガンと言います。

 

日本の病院の臨床心理室の

テスト用具として、ロールシャッハ図版や、

知能検査などとともに、多くの病院に

用意されながら、ほとんど使われない

心理検査として、TATという検査があります。

 

僕も、自分自身のデータをとった他、

せいぜい20人ぐらいに行っただけで、

ロールシャッハのように数百人もとった

検査と比べると使っていない方ですが、

きっと日本で臨床心理士の数から言うと、

TATをよく使っている方になると

自負しています。

 

そのThe Thematic Apperception Testなる

テストを開発して作った人が、ハーバード

心理学診療所というところで所長をしていた

ヘンリー・マレーということになっていますが、

実質はこのクリスティアナ・モーガンが、

共同開発者ということになっていますが、

むしろ彼女が中心になって作ったようです。

 

20枚からなるカードを見て、その絵の

状況を説明させ、その状況に至った過去の

流れや、登場人物が複数の場合は、他の

登場人物の思いも含めて、さらにその後、

どうやっていくかの未来も語らせるものです。

 

絵を刺激として、空想をさせるテストで、

まさに簡易アクティヴ・イマジネーション

と言ってもよいようなテストでもあります。

 

カードには、写真や真っ白の白紙もあったり、

そればかりではありませんし、

クリスティアナ・モーガンが選んだ他の人の

絵もあったと思いますが、半分以上の絵が、

クリスティアナ・モーガン自身が

描いたものでもあります。

 

TATには、日本版もあり、一つは

下駄を履いていたり、風俗の古さが目立ち、

このバーバード版TATの方が、

現在の日本人にとって、むしろ違和感が

少ないという理由以外に、

このクリスティアナ・モーガンの

絵の独特な雰囲気に僕は惹かれています。

 

とても、他の人には描けない

独特な世界を描いています。

 

アメリカのボストンに生まれ育った

彼女が、一時期ユングの分析を受け、

そのごバーバードの心理学診療所で、

心理療法家としても活躍したそうです。

 

ユングからの分析は、28歳の時に

受けたそうです。ユングがセミナーの

材料として使った以外に、彼女自身も

詳細な夢やユングとの分析の様子や、

夢なども記録に残しているそうです。

ユングの分析を終えて、ハーバードで

心理療法家になったのは1926年で、

このセミナーは4年後の1930年の

10月に始まったいます。

 

89回にわたるセミナーで、

クリスティアナ・モーガンの

ヴィジョンの三分の一にあたる

44のヴィジョンについて論じています。

 

クリア・ダグラスによると、

ユングの患者・弟子で、

アクティヴ・イマジネーションを

行いユングが指導した人は多数いたが、

その中でも、彼女のヴィジョンに、

ユング自身のヴィジョンに匹敵する

力を感じ、彼女とユングが共鳴しながら

ヴィジョンが進んでいった面もある様です。

 

セミナー参加者の中に、さすがに

クリスティアナ・モーガン自身は

いませんが、よく知っている人は

むしろ多く、弟子同士としての

嫉妬や羨望・競争心も渦巻いて

…講義をするユングにも影響して、

後半は、前半ほどユングの歯切れが

良くないとも言っています。

 

また、スキャンダラスなゴシック的な

好奇心がクローズ・アップされたり、

ユングも客観的にだけ論じるのが、

難しくなっていったようでした。

 

僕としては、クリスティアナ・モーガン自身

にも興味はありますが、夢分析の続きとして、

夢やヴィジョンをいかに解釈していくかを

少しでも学びたいなと思っています。

 

ただ、僕以上に当時のセミナー参加者は、

クリスティアナ・モーガン自身に興味が

あったようです。

 

というのは、モーガンの夫の分析家のトニー・ヴォルフや、

モーガンと愛人関係にあったヘンリー・マレーや、

その三角関係で、この後に自殺したラルフ・イートンや、

三角関係の頃、ユングの後に分析をしていたフランシス・

ウィックスという近親者もセミナーに参加しており、

近親相姦的な渦にみちていたとクレア・ダグラスは

語っています。

 

当初は、ユングはモーガンのヴィジョンが、

自分のヴィジョンの男女反転だけでの類似性から、

典型的な女性の自己実現の道筋として

絶賛していましたが、嫉妬や競争心が渦巻き、

ユングの歯切れも悪くなったようです。

 

ただ、ユングは再三、このヴィジョンの中の

元型的な面こそが重要だと強調しています。

ただ、元型は、必ずある個人によって、

個人的な装いも含んだイメージとしてしか

存在できず、また、抽象化した元型には

エネルギーはなく、新たに個人的文脈の

中で、生成されていくこそが、生きたヴィジョン

であるとも言っており、個人的部分を

省略はできないが、そこよりも普遍的な

面に注文して欲しいと言っているらしいです。

 

そうだとしたら、モーガンほどスキャンダラス

でない人のヴィジョンを扱った方が良かった

のでしょうが、そういう人だからこそ、

すごいヴィジョンも生じたとも

言えるかもしれません。

 

ただ、モーガンの自己主張がユングの想定よりも

強くなり、ユングは後半は「アニムスの憑依」

としてもアニムスの成長ではなく、暴走だと

否定的になったとクレア・ダグラスは言っています。

 

清教徒的な抑圧から、身体や性を解放して

行きますが、ユングがそれについていけなかった

のではないかと、クレア・ダグラスは言っています。

 

僕も、一回目読んでも理解できずに、

今回、二回目に読み進めますが、

クレア・ダグラスが言っているほど、

セミナーが荒れたり、ひどくなった

という印象はなく、クレア・ダグラスの

主観的印象とも感じます。

 

クレア・ダグラスも前半は絶賛しており、

象徴やイメージをユングが考える限りの

起源や類似例をあげて追跡していく拡充法が、

ユングの博識さで圧巻であるとは言っています。

 

で、いきなり1931年の秋にセミナーが、

一時中断して、1932年の10.1210.19

10.2611.2の四回のクンダリニー・ヨーガの

セミナーを挟んで再開したそうです。

 

ただ、これについてもクレア・ダグラスは、

ユングが7つのチャクラを下方から解説したが、

上に行くほど高次と言われていますが、4つ目

…上からも下からも4つ目ですが、心臓にある

アナーハタ・チャクラをもっとも解説して、

それよりも上のチャクラの説明は省略している

として批判していますが、僕も「クンダリニー・

ヨーガの心理学」を読んでそう感じました。

 

クレア・ダグラスは、モーガンもユングも、

直観思考型で…お互い感情が劣等という

ところも共通していて、盲点も同じだった

ということや、ユングの女性イメージも、

その時代の影響を受けていて、今の多くの

女性から支持されるような男性像の成長を

示したのに、ユングは、モーガンの自己主張を

劣等なアニムスにありがちな、度の過ぎた

間違ったロゴスと扱ったところにも、

限界があったと言っています。

 

そういうことも、頭に入れて、また、

セミナーを読み進めたいなあと思います。

夢分析Ⅱ-6-8

夢分析Ⅱの

学期(~月)

第六部の第八講で、

最後です。

1930625日の

セミナーです。

 

30は、ものすごい嵐だが、

夢見手自身は平静で、

夜には変な夢をみるが、

昼間は普通に過ごしています。

 

夢は補償的なので、昼間に

意識的に彼が動揺していたら、

むしろ夢は彼を和らげようと

するかもしれないといいます。

 

冷静に覗くが科学的冷静さを

変えようとしなかった夢見手が、

この夢30の後半で、はじめて

夢とのつながりを感じたそうです。

 

ユングは、ずっと彼が夢を

利用し始めるのを待っていたと

言っています。

 

猿人の攻撃で、アニマは窓から

人に出て行って、警察を呼びに

行きます。

 

で、「窓を壊したのはアイツだ」と

猿人が叫びます。

 

この後半は、ユングは男性一般の

特徴の典型だと言い、厄介なことに

なって、アダムは「エヴァが誘惑した」

と人のせいにするということを

言っています。

 

夢見手が曾祖母にもっと

ちゃんと関心を向け、

関わろうとしていれば、

曾祖母は逃げ出さなかったが、

夢見手も猿人と同様で

行動するだけで

関わらなかったから

曾祖母=アニマが出て

言ってしまいました。

 

彼の家…内側から逃げてしまうと、

アニマは現実の女性に投影されて

しまい、たちまち魅惑されて

捉えられてしまって、彼は

因襲的な道徳と衝突してしまいます。

 

それがアニマが警察に行く

理由でもあるようです。

 

鼠が逃げたのと同じように

アニマが逃げると、行動面で

動いてしまうことになります。

 

夢の中のアニマに対して、

具体的な一人の女性として

接近して行くことが大切なのだ

と言っています。

 

その重大な局面で、カメラマンが

登場しています。

 

これは、夢見手の科学的態度で、

事態を見てはいるが、彼自身は

何も変化しないあり方でもある

とも言っています。

 

ただ、歴史や記録は大切なことだと、

ユングは強調しています。

 

ここには、分化機能が働いていて、

それがないと動物は殺されかけても、

次の瞬間には遊んでいたりして、

良く言うと、永遠の時を生きていて

悪く言うと、対処するための連続性も

持っていないことになります。

 

動揺や混乱の中でも、

人間的落ち着きを維持させる

避難場所を持つことができます。

 

ここでフロアーから、

思考タイプに限ったことか、

感情タイプなら違うんじゃ

ないかと質問され、

 

ユングも答えて、感情タイプも

外的な状況にあらがって、

騒乱から自分の感情を

切り離して保持できる

 

…つまり、タイプ云々じゃなく、

無意識に動物的に生きていた人間が、

意識を獲得していくということを

ユングは話したいのに、フロアーが

タイプを当てはめて質問するので、

途中で、タイプなついて話し出したら、

それだけで何週間も潰れてしまうと

言って終わっています。

 

子どもや古代人・未開部族は、

実用だけに注意を持続する力が

弱くて、すぐに遊んでしまう

遊戯性があると言っています。

 

工学的知識は、古代人も

持っていたが、純粋に

実用的な機械をと考えるより

遊びが入って装飾を加えたり

芸術的にして、即物的にだけ

なれない面があるといいます。

 

実用的・即物的にだけに集中

すると古代人や子どもはすぐに

疲れてしまう。

 

そういう意識的行動を

維持するエネルギーはないが、

長老の許しがないと48時間も

不眠不休食事もとらずに狩猟が

できたり、120kmも手紙を

いっきに運んだりと、本能が

目覚めているために、我々には

真似のできないこともできてしまう。

 

ただ、皆50歳くらいで亡くなり、

過労死状態で燃焼し尽くしているようです。

 

我々は、環境変化に対抗して

立ち続ける建築物のように、

変化する自然に対して、

自分を区分して保持する力があります。

 

ユングが、ロゴスとエロスに

ついて語り始めると、

再び、フロアーからロゴスは思考タイプで、

感情タイプはエロスかとかの質問になり、

ユングがタイプ論とロゴス・エロスは

別なのだと強調しています。

 

ロゴスは識別で分類を、エロスは

結びつけて、力動的な関係を打ち立てると。

 

エロスを含まないロゴスは、

乾いた知性で活動力を持っていない。

ロゴスを含まないエロスは、

理解もなしに盲目的な関係だけに

なりやすいと言います。

 

猿人は劣等機能で、ごちゃまぜで、

識別機能もなく、混乱とパニックしか

ありません。

 

多くの神経症者は、すべてが

駄目になっても残る記録映像の

ような避難場所が必要で、

それは分化機能で理性です。

私たちと合意した地点にも

戻れます。

 

警察ぐらいなら個人のレベルだが、

川の対岸に砲兵隊という軍隊がいるのは、

この問題が個人のレベルではなく、

集合的無意識の問題なのです。

 

私たちは、問題をいつも自分独りの

欠陥と主観的に考えがちですが、

本当は砲兵隊までが出て来る公的な危機なのです。

 

私たちは、なかなか自分の中に敵を

見つけられないので、どうしても

隣人の中に敵を見い出し気味なのです。

 

一つの講義はよくこんな感じで、きっと

時間切れなのでしょうが、唐突に終わる

ことも多いのですが、この講義のここで、

この夢分析セミナーが終わっていて、

すごく唐突な印象を受けてしまいました。

 

でも、ここで終わっているので、

この解説もここで終わりです。

 

難解な、このセミナーを読み解く

助けになりましたでしょうか?

 

次は、ヴィジョン・セミナーという

ユングのセミナー記録を読みます。

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