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2015年9月

ヴィジョン・セミナーⅠ-1-7

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第七講

19301127日の

セミナーです。

 

8の後の、四つの静的なヴィジョンと、

ヴィジョン1との比較から始まります。

 

静止したヴィジョンは死んでいて、

動くヴィジョンは、エネルギーが

流れ込んでいて、ドラマとなっています。

そして、患者自身も役を割り当てられて、

変容されて行くのだと言っています。

 

夢の分析も以前の夢や、直前の夢を

振り返って解釈をしていきますが、

最後の夢13には、牡牛と聖人が

登場しています。

 

また、以前の静止したヴィジョンは、

「孔雀」と、後光と人の上半身で、

「太陽の人」と呼ばれる典型的な

ヴィジョンのようです。

 

キリスト教信者を「魚」「羊」と呼ぶ

ように、ミトラ教の信者のことを、

ヘリオドロモイと呼ぶそうです。

 

これは、光輪と黄金の翼を持つ

一種の天使のことで、

「太陽の御者」とも呼ばれている

そうですし、エジプトや

バビロニアの日輪には

翼があったそうですし、

孔雀は日の出の形を表わしていると

考えられていたり、春を表わしていて。

 

占星術の牡牛座とも関連して来る

ようです。

 

ヒンドゥーでも、新しい自律的な

動きを「緑の葉」と呼んだり、

スーフィーでも、「草の葉」として

現われるとされているし、

ギリシャのエレシウスの秘儀でも

「緑の小麦の穂」として

神が登場して来ると言われ、

エジプトでも「緑のオシリス」

と呼ばれていて、

 

この牡羊は新しい自律的な

衝動が動き出したということを

示すものだと思われるそうです。

 

きっとアニムスを表わしている

であろうと思われる

インディアンが、牡羊を槍で

額を突いてしまいます。

 

無意識的な衝動を殺したり

阻止するというと我々は善悪で

考えがちですが、無意識の

中でのこういうことは平気で

生じて変遷していて、

日常的なことであるのと、

 

未開な発想の中では、

仲良しになった場合も、

憎しみ合って殺し合った

場合も、死んだ相手の魂を

取り入れて、影響されて

行くそうです。

 

実際にインディアンの部族で、

敵の勇敢さを取り入れるために、

敵を食べるという部族もいたそうです。

 

この馬や山や池の「黒」いのは、

中国での「陰」と同じです。

 

キリスト教圏では、

反キリスト的なものを「黒」、

キリスト的なものを「白」で

表わします。

 

反キリスト…つまり、悪魔です。

中国では、「正と悪」という捉え方

よりは幅がある捉え方をして、

陰というと女性的なという意味も

あります。

 

女性の誘惑も表わし、キリスト圏でも、

アダムを悪に導いたのはエヴァの

誘惑によってという側面もあります。

 

また、黒には冥界も表わしていて

死者や死後の世界とも繋がっていて、

意識ではなく無意識的なものを

表わしています。

 

牡羊の姿をしていたエネルギーや

衝動は、馬に姿を変え、池に着いて

死ぬので、このインディアンに

流れ込みます。

 

太陽を探しますが、もう沈んでいます。

意識を求めましたが、もう意識は

消えていたようです。

 

その時にアニムスには変容が起こります。

インディアンだったのに、中国人に

変わってしまい、地面という大地的な

ものに、三回額を擦りつけています。

母なる大地からエネルギーを供給しています。

 

このへんのことを夢見手だった女性は

絵に描いています。口絵の絵です。

 

ヴィジョン2

「一羽の白い鳥が舞い降りて、

インディアンの頭にとまった。

 

彼はその鳥を引き裂き、地面の上で

踏みつけた。すると真っ暗になって

夜が来た。雲が切れて神の顔が現れた。

 

彼は『おまえが殺した白い鳥を見つけるまで、

おまえは彷徨わなければならない』と言った。

 

中国人とインディアンは黒い池の周りを

ゆっくりと何度も歩いた。すると突然、

黒い水の中から白鳥が現れた。

 

白鳥の背後には一本の手があった。

長い間、インディアンと白鳥は

見つめあった。

 

白鳥は『みよ。私はおまえの前に現れた』

という。そこで中国人とインディアンを

池に突き落とし、インディアンは水に没した。

 

池は細長くなっていった。池の一方の端には

中国人が立っており、他方の端には鶴がいた。

 

長い間が経ち、鶴のいるところに

インディアンが現れた。彼は黒い水に

濡れていた。鶴は彼に『顔の涙を拭き

なさい』と言った。それからインディアンは

土手に座り、両手に顔を埋めた。とても

疲れていたからだ。

 

しばらくすると、駱駝がやって来た。

インディアンはそれに乗って砂漠に出た。

まもなく彼はウィグワム(インディアンの小屋)

辿り着いた。インディアンはそこで眠った。

 

夜が明けると、彼は人を眺め空中に燃え立つ

三つの十字架をみた」

 

「私は大きな白い鳥を見た。するとその鳥は

黒い鷹に変わった。それは地上に舞い降りて

嘴で卵をくわえ、また舞い上がった。私は

再び翼をいっぱいにひろげた白い鳥をみた。

 

それは青い衣をまとって古代の彫像のように

座っている女性に舞い降りた。その鳥は

彼女の手にとまった。彼女は一粒の小麦を

持っていた。鳥はそれを嘴でくわえて再び

空に舞い上がった』

 

インディアンは、白い鳥を引き裂いて、

(かかと)で踏みつけるという、とても

残酷なことをしていますが、インディアン

にとって、この鳥が不快なようすです。

 

この鳥は、牡羊のエネルギーから変容して

来たもので、患者自身もトランス状態で

あったと言っているが、どんどん変遷していく

降霊会などでのような一連のプロセスが

続いているようです。

 

ヴィジョン1で大地に額をつけたのは、

エネルギーを使い果たして、大地に

エネルギーが潜っていっています。

 

牡羊は、地下的で豊饒性を表しています。

占星術では火星と関係があり、ヒンドゥでも

火と関係し、ふいに現れる裂火のごとき

衝動性を表しています。

 

牡羊は、アニマによっていったんは

押し留められましたが、馬になったり

鳥になったりして変容しながら存在しています。

 

ヒンドゥ教のタントリズムの一つである

クンダリーニ・ヨガの体系によると、

鳥は頭部を示し、思考や霊・スピリットを

表しています。牡羊は腹部を表しています。

 

白い鳥は、キリスト教的な精霊を表していて、

インディアンで表される地下的で異教的な

アニムスにとっては対立して不快な存在なのです。

 

主である神を拒んだので真っ暗になったり、

白い鳥を再び見つけるまで彷徨い続けるという

呪いを受けてしまいます。

 

ヴィジョン1では、インディアンが中国人に

変わってしまいましたが、ヴィジョン2では

インディアンと中国人の二人で池の周りを

歩きます。インディアンは、神とは対立しますが、

悪魔ではなく、大地にしがみつく未開性です。

中国人は文明化されていますが、患者が

老子や道教の哲学に感化されていることが

表れているそうです。

 

老子は印象的で価値は高いとしながらも、

「アニムス的な意見」であるということで

ユングは警告をしています。

 

男の感情は、分化意識化されていないので、

周囲の気分や感情に容易に染められやすい

のと同様に、女の意見も、影響されやすく

借り物で、衣装としてチグハグだという

ことを強調していますが、アニムスの問題

のようにも言いながら、西欧人が、中国の

伝統で自身の心を考えること自体も、

借り物として…ユングは他でもよくそんな

ことを言っているので、

 

じゃ、我々日本人は、西洋の心理療法で、

考えていくこと自体・・・全部おかしいのか、

ということにもなり、混乱させられます。

 

仏教や儒教、神道、修験道などの日本の

伝統の自己探索で組み直すのは膨大な

ことでしょうねぇ。内観療法の身調べが

浄土真宗の影響とは聞いたことがありますが。

 

本文に戻って、この二人が池の周りを

歩くというのは、聖なる場所を礼拝する場合に、

時計回りに周回するということは、世界中にも

ギリシャやローマでもあったそうです。

 

そして池は冥界でもあり、再生の為の子宮でもあり、

水鳥・白鳥・鶴として、空の鳥ではなく、水に関係

する鳥として再生しています。

 

インディアンと鳥が見詰め合うという場面がありますが、

静的なヴィジョンやイメージに途中でなったり、

あるいは初めに絵や写真を使っても、意識の水準を

少し下げて、その視覚に自分自身を投入していくことで、

視覚が動き出し、魂が与えられ、語り出すと言い、

子どもにはよく起こることだったりするそうですが、

ユングはここでも皆にも推奨しています。

その辺でこの回は終わっています。

 

 

ヴィジョン・セミナーⅠ-1-6

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第六講

19301119日の

セミナーです。

 

未開の呪医と、聖人の違いから始まります。

対極的で、呪医は自分を大いなる無意識に

明け渡し、無意識が主体です。

 

聖人は、無意識を悪魔として排除して、

文化によって克服することで到達し、

明らかに真逆ですが、私利私欲で

動いてしまわないという意味で、

逆だけど近いような気もします。

 

ユングはここで20年間閉じ込められていて、

明らかにおかしい女性を例にして、

脈絡もなくおかしいが、その中の内的な動きが

どんどん死に消えて行く時期があり、

冬の時期と名づけますが、

中身に意味があるかどうかを別にして、

心の中に動きがどんどん生まれて行く

春の時期があったそうです。

 

生き生きとした肯定的な動きは出て来る

のですが、それを捕まえる手のような

部分がなく、動きは定着しないまま、

またどんどん消えて行くだけの冬の時期に

戻って行くだけになるそうです。

 

夢に戻って考えると、聖人らしさは

行き過ぎると不毛で、干からびて行きます。

聖人と牡牛が対比されていますが、

牡牛は、占星術では春を表わし、

ミトラ教でも未分化な創造力を

表わしています。

 

夢の後半は、車で険しい丘を降りますが、

ブレーキが利かない恐怖を持ちながら、

最後には麓にちゃんと着いています。

 

聖人=上昇、牡牛=下降で、上昇は

努力が必要ですが、安全な道です。

 

下降は、無意識や冥界にも通じる

怪しい道で、滑り落ちやすい危険な道です。

 

下降することに意識が不本意な場合に

事故が起こりやすいようです。

 

冥界…という怪しさがあるのが、

ユング派の特徴のような気がしますが、

下降は、一般的な心理学でいうところの

「退行」…子ども返りして行くことで、

カッチリした自我よりは、より

無意識的になって行くことを指している

のかなぁと感じています。

 

(ふもと)というのは、「底」についた

ということだと思われます。

 

底は、未開人の状態で、

心が我々一人一人の中にある

考えるのではなく、外に現われた

客体そのものと思い込んでいる

状態で、神や悪魔が実在している

かのように感じる状態です。

 

その段階に至ると、私は考えていないが、

それ…たとえば動物が考えて、動物が

彼に語りかけて来ると感じます。

 

分析の中では、セラピストに投影して、

セラピストがそう考えたと思っています。

 

この夢見手の彼女も、そういう段階に

なっていて、繭の夢を見たとします。

 

繭についての連想を聞いても、

「何も思いつかない」としか言いません。

 

皆が同じ質問で答えだすので、技法と

言っても良いぐらいの質問ですが、

 

「じゃ私(セラピスト)は、どう考えている

と思いますか?」という質問にした途端、

「先生の考えならわかります」と言い、

マテリアルのほとんどを出すことが出来ますが、

「私には思いもよらなかったし、

考えられませんでした」と言い張りますが。

 

文明化された人が、未開レベルに下降することは

比較的よく起こることらしいのですが、

二度と文明化された状態に戻れない恐怖感も

伴い、本人は「犠牲」という感覚だと言います。

 

本当に「底」に到達したのかという証拠は、

この時期以来、主な前進がヴィジョンを通して

行われるように変わることでわかるそうです。

 

今まで、分離して、知性で把握していましたが、

主体を放棄してしまい、本人には何がおこっているのか

把握できなくなります。

 

ものごとが起こるがままに起こって行き、

牡牛の創造力が動き始めます。

 

考えていた頃は、牡牛を破壊していました。

「考える」代わりに「視覚化」する

ようになったのです。

 

このセミナーで、ユングが「何を

話そうか」と自分で考えて話して

いますが、「底」になると、

背後の声が勝手に喋り始めるという

感じになるのだと言っています。

 

心的なものが絶え間ない流れと

なって溢れ出て来るようになるのです。

 

8の後、四つの静的なイメージの

ヴィジョンがありましたが、もはや

ヴィジョンが自律的に動き出します。

 

ヴィジョン1

「私は、牡羊の頭を見た。その牡羊は、

すばやい勢いで突進するが、一人の

インディアンの槍で額を貫かれます。

 

牡羊は消え、インディアンは槍の傍らで

横になりますが、黒い色の自分の馬に、

突然飛び上がって跳び乗ります。

 

そして野や丘を駆け抜けて黒い山々に

囲まれた黒い池のところにやってきます。

 

それ以上馬が進もうとしなくなると、

馬は横たわって死んでしまいます。

 

インディアンは、岸辺にたたずみ太陽を

探します。しかし、すでに太陽は沈み、

黄昏時になっていました。

 

突然、インディアンは中国人に変わり、

黒い池の傍らで、跪(ひざまづ)き、

額を三度大地につけます」

 

夢だとしても、日常的なものが

ほとんど現われていないし、

情緒も夢よりもまったく含まれて

いないような印象です。

 

夢見手が登場しない夢でも、

馬が死んでインディアンが悲しむとか、

それを見ている夢見手が悲しむとか、

情緒が存在する方が普通です。

 

情緒や感情が外在化しているために、

意識して排除しているのではないが、

感情が消えていて、本当は、

牡羊やインディアンが感情そのもの

であるというようなことを

ユングが言います。

 

私にも、その意味はよくわかりませんが、

フロアーの人が、劣等機能の感情に

ついて質問し、ユングは答えるために、

感覚と感情の違いや…英語・ドイツ語とか

でも、その違いは明確でなくて、

多くの人がゴッチャにしているということも

言っています。

 

感情的というか、感情が劣等じゃなく、

分化するということは、一般に感情に

ついてイメージして、情熱的になるとかとは

違うのだということを説明します。

 

思考タイプが…思考機能が分化して

優越機能になった場合、思考を

自分でコントロールすることができて、

それに振り回されることがありません。

 

つまり、感情も同じで、感情機能が

分化されて優越機能になると、

感情に振り回されなくなって冷静に

なるようです。

 

的を得た感情になるだけで、むしろ

冷たいのだと言います。

 

価値を決める機能で、分化されると、

感情が、より客観的になって行くそうですが、

干からびて不毛になる恐れもあるそうです。

 

芸術家というのは、感情は劣等で未開のレベルで、

諸対象の中に心を見るので、対象と向き合う

のだといいます。

 

ヴィジョンは…「考え」や「概念」の雛型で、

感情ではないと断ったうえで、ギリシャ神話の

マルスという神は、「怒り」や「憤怒」の

概念になって行く前の実体であったり、

ウェヌスは「愛」という概念の雛型だそうです。

 

ヨハネの黙示録のヴィジョンや、ダニエルの

ヴィジョンも、より発達すると概念に

なっていく…そのものなのだと言います。

 

 

ヴィジョン・セミナーⅠ-1-5

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第五講

19301112日の

セミナーです。

 

13

「私はフランスの荒れ果てた地方の墓地にいた。

墓は赤い砂岩でできていて、多くの兵士が

埋葬されている大きな墓に、人々が歩いて行く

のが見えた。誰かが『この墓石を見なさい』という。

大きな墓石の上で、石で彫られて死んでいるが

半分生きているような、聖人と牡牛の像があり、

その聖人の指を牡牛がかじっていた。恐怖を

感じて、牡牛から手を離そうと手を振って

立ち去った。

 

それから車に乗って丘から急な坂を下った。

ブレーキのききが悪く恐怖を感じたが、

何とか無事麓に降りて来ることができた」

 

北フランスが破壊された世界大戦が関係

する夢だとユングは言います。

前の夢の黒いベールも喪を意味することが多く、

夢見手個人よりも、アメリカ人だが、

ルーツはヨーロッパで、本人の意識では、

今は教会にも行かない無神論者だけれど、

プロテスタントで、さらにその底には、

カトリックがあり、その底にミトラ教も

あり、皆が意識もしていないし、世界大戦

の後でも、反省もせず同じようなことを

繰り返しているが、無意識では皆が

大きなショックを受けているとユングは

言います。

 

牡牛は、ミトラ教の崇拝対象で、

聖人はキリスト教を表わしていて、

その夢をかじっているのは、

「指一本でも、すべてを呑み込まれる」

という言葉もあり、先祖帰りして行く

ことを表わしているようです。

 

ここで言う「世界大戦」は、

多分、第一次世界大戦だと思います。

 

意識によって、合目的的に、意志力を

持ってものごとをおこなっていくという

「近代」以前は、アフリカ・アジア・

先住民や、ヨーロッパでも、周辺国や、

西欧でも中世頃までは、戦争といっても

何人かが死んだり、深刻になると、

逃げたり、和解したり解決に向かう

ということが多く、

 

第一次世界大戦の

ように、破滅的な戦いであるのに、

自分を犠牲にしても、理想のために

戦い続けるというのは、自我による

持続力…意志の力が必要だが、

 

「聖人」で示される…禁欲や自己犠牲

によって成し遂げた西欧の「理想」が、

破壊されたのが世界大戦で、皆が

無意識の中での挫折体験をしており、

離婚率の急上昇や教会離れや、

価値観の大転換が起こっていると

言っています。

 

「近代」「自我」の中で、個人がではなく、

集団で何を成し遂げて行く場合には、

理想を掲げたスローガンが、魔法の言葉

として、暗示として人々を導いていて、

それは東洋で言う「マントラ」のようだと。

 

「マントラ」は真言で、空海の真言宗とか

もあるように、インドの宗教の聖なる言葉

という意味で、魔法や呪術につながっています。

 

分析で、ユングが説明して「わかります」と

クライエントの意識が同意しても、それは

一晩寝れば消えてしまい、なかったことになる

と言っています。

 

無意識に届いた場合は、「わかる」じゃなくて、

「うちのめされる」ような衝撃になるようです。

 

聖人に変わって、牡牛になるということは

どういうことなのかということで、ユングは

牡牛は占星術で春を表わしており、

「新たな芽吹き」や「大地の力」を

表わしていると言っています。

 

この第五講はここで終わっています。

 

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