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ヴィジョン・セミナーⅠ-1-10

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第十講

1930129日の

セミナーです。

 

前回の九講での「動物レベルとの合一」は、

至高体験で、あらゆる秘儀の目的でもあるし、

クンダリーニ・ヨガの目的である

シヴァとシャクティの合一でもあります。

 

今のプロテスタントでは、洗礼と言っても

無意識のままの赤ん坊の額に数滴の水を

振り掛けるだけだが、凍りつく冷たい川に、

溺れそうになるまで浸け、神秘的な体験

をしていたのです。

 

前回のヴィジョンは、時代を遡って行き、

残酷な試練や人身御供を経て、

原始的な太陽崇拝のレベルにまで

達しています。

 

動物レベルに一体化したことがない人は、

自分の中の動物レベルの存在に無自覚で、

無意識ですが、一度、自覚すると葛藤を

抱え続けますが、自覚がなく、無意識を

抑圧し過ぎて神経症に陥っている人は、

投影したものや他人の責任にして、

他罰的になったりしてしまうようです。

 

ヴィジョンの続き

「牡牛が幼子を地面から拾い上げて、

古代の女性の彫像の足元に横たわらせます。

白い牡牛に乗った裸で花の冠をつけた少女が、

その子どもを掴んで空中にほおり投げたり、

受け止めたりして、ギリシャの神殿に

連れて行って子どもを寝かせると、

屋根の穴から太陽光線が子どもの額に

当たり、そこに一つの星を刻みつけました。

それから彼女は若者に変わり、

聖なる林の中に立ちます。すると、

サテュロスが現れて、『おまえは何故、

ここにいるのか?』と聞きます。

若者は『行く所がないのです』と答えた」

 

この幼子は、彼女の中に新しく生まれた

彼女自身です。裸の少女は、古代的で

子どもを掴んで空中にほおり投げるのは、

その手中にあるという意味で危機的です。

 

子どもの額に光…光は意識的な価値です。

ここで、ユングは、プエブロ・インディアンは、

心臓で考えるが、アメリカの白人は、

「頭で考えるから、おかしくなっている」

と言った言葉を紹介しています。

また、我々も「心」という時に、

胸の当たりを手で示すことがあるとも

言っています。

 

このヴィジョン・セミナーの後のセミナーで

取り上げるクンダリーニ・ヨガでの象徴を

説明しています。ヨガでは7つチャクラを

言いますが、ここでは、非常に原初的な

意識の場所として、腸①という例をあげ、

横隔膜②はホメロス時代の人々とも言い、

心臓③と、口④と額・頭⑤の5つのセンター

という風に言っています。

口は、言葉に関連する想念とか、

⑤に関しては、インド人が蓮華の場所と

大切にしているなどとも書いています。

 

ヴィジョンに関しては、若者に変わるところを

彼女自身が「奥ゆかしさ」も含めてだが、

逃げて「アニムス任せ」にしてしまっていると

批判しています。

 

ヴィジョンの続き

「若者は、舟に乗って岸壁に向かって槍を投げます。

刺さったところから、水が滴りはじめます。舟は、

そのまま行ってしまうが、若者は岩の上に立ち、

水の中を覗き込むと女の顔が見え、飛び込んで

追いかけると、三人の魔女たちの洞窟にやってくる。

独りの魔女から、一本の歯を抜いて、洞窟から

逃げ去ろうとしたが、獰猛な獣たちに襲われて、

傷つき血を流します。一人の老人が、獣を

追い払って若者を毛皮に包み、岩の上に空を向かせて

寝かせます。炎の円が降りて来て若者の周りに

燃え上がると、若者は「私は生贄です」と言い、

胸から一羽の白い鳥が飛び出して、炎より高く

舞い上がります。そして、火は彼を燃やし尽くします」

 

サテュロスとは、山羊-人間だが、紋章になっていて、

神格化された存在を意味します。

 

アニムスが本人のその後を先取りして動くことがあり、

それを参考にして、あとで彼女自身も動かねば

ならないようです。

 

岩の上から覗いた時に、水の中に見えた女の顔は、

彼女自身を表しているようです。三人の魔女の

一本の歯を引き抜くのは、ギリシャ神話の中で、

三人の魔女が一本の歯を共有しているという話からだが、

その後、獣に傷だらけにされるのは、神話の中で

運命に対抗した場合は、獣や化け物に八つ裂きに

なるのが通例で、老賢者・呪医・動物に通じる者らを

表している老人に助けられなければ、そうなって

いたということを表しているようです。

 

ただ、逃げられず八つ裂きにされたという不名誉な

死が、自ら選んで生贄になるというように、

死乃の意味合いを変えるためでした。

 

歯を引き抜く行為は、僭越で思い上がって、

横柄で大胆な行為で、その代償のようです。

 

若者自身は焼き尽くされてしまいますが、

彼の胸から白い鳥=不死の魂が離脱して、

天に舞い上がっていきます。

 

この次のヴィジョンは、ただ炎の変容に

よって、美しい神性との合一を表している

だけなのでと省略されています。

彼が彼女の中に「入って」神に満たされる

(エンテオス)という状態になっています。

この「入る」は、ディオニュソスの特性

の一つとして、エンコルピオスと呼ばれる

腟か子宮か腹の中に入っていくという

性的な合一性にも通じる象徴のようです。

 

彼と合一したことによって、

アニムスに任せて避けてしまっていた

サテュロスとの直面をしなければならない

ということになります。

 

ヴィジョンの続き

「サテュロスが木の下で葦笛を吹き、

彼と私の間には星々の光の帯が遮って、

緑色の目しか見えなかった。

サテュロスは、両手の掌を挙げて立ち、

胸の毛を抜くと、それが炎となる。

私は、彼に話をしてくれるように

頼むと、彼は私に青い衣を着せ、

真珠の首飾りをつけてくれた。

私が彼の前らひざまづくと、彼は、

『私は過去であり、不死であり、

未来でもある。おまえに、

わたしのことを知らしめよう』と

言って、私の顔と胸に十字のシルシを

つけ、彼は色褪せて行って見えなくなった」

 

サテュロスに直面することはものすごい

勇気が必要ですが、彼女が予想した性的な

ものとは違っていた。

 

動物レベルということは、破壊的で無軌道と

理解しがちだが、無軌道なのは人間であって、

動物は法則に則って、バランスもあり、

むしろ理性的ともいえるようです。

 

彼女自身は、自分を情動の炎に苦しんでいる

と考えていますが、青いマントは天上の

マリアを表し、真珠は涙や悲しみを表していて、

戴冠もさせますが、むしろ何も起きていない

ことが重要なことのようです。

 

十講は終わり、秋期も終わって、少し

ブランクののちに1931121日から、

冬期第二部の第一講が始まります。

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