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ヴィジョン・セミナーⅠ-1-9

ヴィジョン・セミナーⅠの

秋期第一部の第九講

1930128日の

セミナーです。

 

鳥が卵を手に入れるために

急降下をする時には黒くなり、

天にいる時は白い状態ですが、

卵は新しいものが生まれてくる

妊娠のような始まりを示しています。

 

次のヴィジョンが、

彫像のような青い衣の女性の掌の

小麦の種を鳥がついばみます。

 

卵と種で、同じようなことが

反復して表現されています。

先取りや予感も象徴されています。

 

小麦からは、デーメーテールや、

イシス、母性、子宮、大地、血、

一族、民族などが象徴されています。

 

ヴィジョンの続き

「馬が、牡羊に変わり、牡牛に変わった」

 

動物的なリビドーを示しているのと同時に、

白羊宮から金牛宮で、春を象徴しています。

これも新しく萌える、さらなる豊饒性を示します。

 

ヴィジョンの続き

「牡牛の背に、あのインディアンが乗り、

インディアンの導きに牡牛が従い、

ゆっくりと高い丘を登って、ついに

岩で出来た頂上に立ち、その下で

多くの人々が嘆願するように手を挙げていた」

 

アニムスは、リビドーを頂上に導いています。

聖書の一場面の、モーゼがシナイ山の山頂に

至り、人々がそれを讃えた場面と似ています。

 

自然全体や、すべての神の被造物が、

新しい啓示を期待しているという

聖パウロのアポカタスタンスの一節とも

類似しています。

 

ここでユングの統合失調症だった少女の

例をあげて、月の世界に行って月の

救世主になっていたが、ユングに

その話をしているうちに、月と行き来

するための糸を切ってしまって、

ユングを「殺したい」ほど恨んだそうです。

 

秘密を漏らした為に糸が切れてしまい、

大地に戻って、正気でいなきゃいけなく

なって治ってしまったが、月での生活の

方が素晴らしかったと責めて来たようです。

 

ヴィジョンの続き

「インディアンと牡牛は、流れの速い渓流に

かけられた高い橋を渡り、渡った先から、

左の森の方に入って行った。

インディアンは、泉の水を飲むために

立ち止まった。インディアンが、

私の顔のベールをあげて、

しばらく見詰め合った後、泉の水を

私にもくれた」

 

さっきのヴィジョンの段階では、

私たちの患者は、岩の下で懇願する

中の一人でしたが、泉の水を飲む

シーンから、ヴィジョンの登場人物に

入っていくようになっています。

 

インディアンとともに進む牡牛は、

ミトラ教の象徴でもあって、

それらが橋を渡る…「橋を渡る」

ことは、今までの状態から、

別の状態に移行していくことを

示しています。

 

渡ったところで「左側の森」に

入って行きますが、左ということも

森も、無意識の奥深くへということを

表しています。

 

私たちの患者は、ベールをつけていました。

ベールをつける…ということは死を意味し、

ベールをあげる…ということは、復活や

動き出すことを意味しているそうです。

 

そして見詰め合うことは、同化することを

示していて、今までインディアンという

アニムスが担っていた導きの機能を、

患者自身が獲得して行ったようです。

 

ヴィジョンの続き

「それから中世の街に入って行きます。

街の中央には大きな広場があり、

そこには十字架が建てられていました。

 

自分の赤ん坊をその十字架に持ち上げている

女性がいて、インディアンが無視して、

黙って通り過ぎようとすると、その女性が

怒って赤ん坊をインディアンに投げつけます。

 

赤ん坊は二頭の山羊に変わり、牡牛の後に

ついて行きました」

 

中世への時間を遡って行っています。

前方の壁を越えなきゃいけない時に、

過去から何かを手に入れる必要の

ある時に、過去への退行が始まる

と言っています。

 

ユングは、導きの原理が、インディアン

という未開人と、牛で表現されていて、

この患者は理性や論理で考えることに

馴れていて、その原理を信用できない

ために、壁が立ち塞がっているようです。

 

その壁を解決する方法を中世に

求めているようなのです。

 

「赤ん坊を十字架に持ち上げる女」

というのはマリアのことだと、

ユングは言います。患者は、

この女性と一体化して、

マリアに関心も示さない導き手に

腹を立てて、赤ん坊を投げつけた

と言います。

 

キリストにさえ関心を示さない

導き手に対して反発しているようです。

 

山羊は牡牛と共にディオニソス神話に

属していて、パニックという言葉の

元になったパンという牧神も、

人間と山羊の中間の存在です。

 

ポンペイで発見された壁画に、

イニシエーションを受ける

女性が描かれていて、その横に

二匹の山羊が描かれています。

 

自然と一体化して神の力を

実感するためのイニシエーション

だし言います。

 

ヴィジョンの続き

「頭の後に光輪があり、

白い衣に杖を持った

キリストが現れ、

私は彼の前にひざまずいたが、

それでもインディアンは、

通り過ぎていくので、

私は仕方なしについて行った」

 

インディアンが、マリアにも

キリストにも興味を示さないことに

反発と怒りを感じ、彼女は自分が

キリスト教徒として、誰について

行くべきかを自問しながらも、

彼女が山羊に同一化することで、

キリストを捨て、インディアンに

ついて行くことを本能的に

選んでいるが、この選択はまだ、

彼女自身の意識の選択ではなく、

彼女のファンタジーが、

彼女自身の経験となるまでは、

まだまだ、長い道のりが

必要なことも示しているようです。

 

ヴィジョンの続き

「私たちは、高い塔のある大きな城に

着きます。テンディアンが呼ぶとも

城の窓から一人の女性が緋色の花を

投げ落とします。突然、一羽の駝鳥が

現れて、動物たちの中に加わります。

 

ローマ風やギリシャ風の神殿を動物たちと

一緒に歩いて通り抜けた。

中央に本丸のある中世の要塞に来ています。

一人の女性が外を見ています」

 

人を見ている女性は、先取りした、

予感を表す彼女自身です。

城もそうで、確立された強固で

安全な塀に囲まれていることを

表しています。

 

何故、駝鳥か…駝鳥は困った時に、

本当はただ逃げるだけですが、

昔からの言い伝えだと、砂の中に

頭を突っ込むと言われています。

状況も見ずに、インディアンに

すべて委ねてしまっていることを

指しています。

 

ヴィジョンの続き

「両目を閉じた顔を見て願います。

汝の両目を開き、わが目を覗き込め。

汝の両目が私に見えるように」と。

 

まず、文体が変わり、聖書の言葉の

ようになっています。

ファンタジーのより深い、神聖な

層になっている様です。

 

ヴィジョンの続き

「顔色が曇り、見るべからざる目が

見え、美と苦悩と光に満ちていた。

私は、それに耐えられなかった」

 

ユングは、これを彼女が本当に

良い刺激を受けた最初のヴィジョンだと

言っています。今まではただ、

ヴィジョンを見ていただけだが、

初めて、それが彼女の皮膚を貫いた

と言っています。

 

そして、彼女はそれを絵に描きます。

メランコリーをたたえる野獣の目です。

 

苦痛と快楽に満ちた意識以前の心的な

状態で、ギリシャよりもっとずっと以前の

動物レベルの魂の状態だと言います。

 

ディオニッソスの秘儀で目指すのも、

人々を動物レベルや、内なる自然、

神とのつながりを見い出すための

「始まりの目」であり、創造者の目だと。

 

彼女が動物レベルに達したとすれば。

ディオニッソスの秘儀の本質的な体験を

したことになり、根源的な自分との間に

橋をかけたことになる様です。

 

ヴィジョンの続き

「渓流にかかった木の橋を、馬に乗った男が

渡っていく。馬の上の男が、渓流の下の川の

流れで自身に洗礼している男をみた。

馬に乗った男は、鞍袋から数粒の小麦を

取り出して水の上に投げ落とした。

小麦は見ずに落ちるとすぐに芽を出して、

充分に熟した茎になった。その川に沿って、

土手は険しくなり、岩の隘(狭い)道に入る。

やっと陽の当たる平原に出た時、馬の乗り手が

あのインディアンであったことがわかった。

白いドームがたくさんある古代都市がひろがり、

インディアンがその街に入っていくと、広場に

群集が集まっており、太陽を拝み始める。

火や泉もあり、インディアンは馬を降りて、

顔や身体を火にかざし、無傷で立ち上がった。

その時、群集は彼に矢を放ち、最後の一本が、

彼の左脚の膝の下に当たった。彼がそれを

抜くと、血が流れた」

 

キリストもギリシャの神も通り過ぎて、

信仰のもっとも原始的な太陽崇拝の人とも

出会いますが、酷い目にもあいます。

 

ヴィジョンの続き

「彼は都市を離れ、一人で高い丘に向かった。

脚が不自由になったので、彼はそこで泣いた。

それから彼は再び、その都市へと降りてきた。

群集は彼から距離をとり、彼の周りに大きな

円を作って立っていた。彼は泉で自分の傷を

洗い、顔に水を浴びます。それから馬に乗って、

太陽の方向へと平原を進み、ついにあるインディアン

の村に着いた。そこで彼は馬を降りた。

インディアンたちは『見よ。彼が私たちのところに

帰って来た』と言う。その時、すべての動物たちが

森から姿を現わし、魚の群れは乾いた大地に身を

投げ出した」

 

彼は、彼女に対立(火と泉)や、太陽とのつながりや、

苦難から解放されて、仲間のところに戻れました。

ここで出てくるアポカタスタシスという言葉は、

…再生や原点回帰を示す言葉です。

九講はここまでです。

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