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ヴィジョン・セミナーⅠ-2-1

ヴィジョン・セミナーⅠの

冬期第二部の第一講

1931121日の

セミナーです。

 

患者の心の一部で経験していく

ヴィジョンの動きや変化が、

未開人や古代の秘儀や

イニシエーションと共通した

面を発見したのと同時に、

それらが高揚した状態を

もたらすことを見て来ました。

 

過去へと降下・退行して行き、

原始、さらに動物本能のレベル

まで体験した後に、再び、

文化的なレベルで、ちょうど

紀元前67世紀ギリシャの

ディオニュソスのパン神の

世界に、ヴィジョンが来ています。

 

パンは牧神で山羊の様な格好で、

いつもニンフを追いかける

好色な姿で描かれますが、

叫び声は敵に恐怖を引き起こし、

羊や山羊の群れがコントロール不能

になるのはパンの声によるためで、

「パニック」という言葉が生まれました。

また山野の知恵や、葦笛パン・フルートなど、

音楽の神でもあります。

 

神が登場していますが、近代自我や

キリスト教の考える「神」ではなく、

 

自身を方向付けていくものとしての

原初的な神体験という「神」で、

ユダヤ人は、異国の神に憧れ続けて

来た為に、一神教という考えにいたり、

ペルシャ人は、不潔だったので清浄な

神を敬ったというような補償的な面もあります。

 

清教徒やプロテスタントは、男性原理的で、

堅く四角四面で干乾びていて、大地性・

女性原理的・酒酔を抑圧し過ぎているために、

必然的にその反対に布置される大地的で、

女性的、ワイン・葡萄・酒による狂乱を

特徴とするディオニュソスが現れて、

意識に管理された心を解放しようとします。

 

ヴィジョンの続き

「一匹のスカラベが開き、独りの男と

独りの女が現れ、池に降りて行って、

自分の姿を見詰め、男は池に潜って

指輪を見つけて上がって来て、女の

額に押し当てると、額の肉の中に

沈み込んで留まった」

 

スカラベは、卵を産み付けるために

動物の糞を転がして運び球体にしますが、

エジプトでは、天空を東から西へと

太陽を運んでいく神として崇められました。

 

全知全能の神のように、自分の心はすべて

意識だけが作り出したと考えると人は孤独で、

外界との関わりを必要としますが、自分の

心的諸内容を、客体的な存在として訓練すると、

自律的で独立した実体性をもったものとして

心的諸内容があることがわかります。

 

現代人が、心的な諸内容をすべて自分で

作り上げたものと考えてしまうのは、

世界の全てを創造した全知全能の神を

定式化したためなのです。

 

キリスト教を肯定するかどうかが、

まだ、わかっていないような

自律的なファンタジーは、

危険なものとして、たとえば

イグナティウス・デ・ロヨラの

霊操などによって意図的に

破壊してきました。

 

しかし、動かない視覚像に、

何週間も集中して凝視し続けると

それが動き出してきます。

 

自分の意識で考えた動きかどうかは

その時点ではハッキリしませんが、

不都合な動きやイメージが出てきたら、

自律的なものとハッキリしてきます。

 

そこで、「不都合なものは否定して、

やり直しても良い」ということに

していると、自律的なファンタジー

こそが破壊され続けていきます。

 

自分の内側から発生したファンタジーは、

自然現象の一部であって、あるものを

あると認めて観察しなければ、破壊の

習慣の方に戻ってしまいます。

 

ユングは、自然現象の一部なので、

どんなファンタジーでも、客体的な

事実であって、見た人の責任ではない

と強調しています。

 

責任と思うこと自体が、全能の神と

同一化してしまっていて、思い上がり

なのだと言っています。

 

殺人や、性的な欲望が出て来ても、

信念に反する動きが表現されても、

そんなものが出て来たという事実を

どう考えるかであって、

「そんなヴィジョンはなかった」

と否定してしまわないということが

自律的なファンタジーにとっては

大切なことなのです。

 

自分から自律していて客体的な存在で、

簡単に自分が同一化できないものを

経験すると世界観が変わるような体験になり、

日常とは違う高揚感を伴うようです。

 

その高揚は神秘体験とまで言えそうなもので、

それを内界のもので、外界とは違うと、

事実ではあるが、外の現実の変化とは

区別ができていないと、「急に何かが

変わった」と感じ、狂気に陥って行く

キッカケにもなってしまうものです。

 

ヴィジョンに戻ると、スカラベが

自らを更新するように、スカラベの

中に、合一した男女が入っています。

 

合一の関係性が秘儀の高揚を作り出します。

男が池の深みから指輪を見つけて来て、

女の額…クンダリーニ・ヨガでいう

アージュニャー・チャクラのある場所で、

完成・完全性・至高の意識。至高の知識を

表し、仏像にもあるブッダの第三の眼の

場所に、日常なら指にはめる指輪を

肉の中に浸透させて埋め込んでいきます。

涅槃やNirvanaと言われる高揚状態を

表します。

 

ユングは、高揚状態を得るために、

古代カルタゴや、アブラハムの頃は、

初子供養と言って、初めの子どもを

神への生贄に差し出す風習があり、

神と一体化して無意識の頃は、

その行為で高揚状態になっていたと

紹介しています。

 

自分の考え・自我ができ始めてきて、

はじめて「それは子どもを殺す行為で、

おぞましい」と感じ始め、生贄は

動物に置き換えられていったようです。

 

ヴィジョンの続き

「豹の毛皮の腰巻をつけた

美しい若者が、黄金のシンバルを

持って、犬と一緒に楽しそうに

飛び跳ねて踊っています。

 

そこに立ち止まって両手を広げ

ターバンをつけた老人がいます。

 

若者が立ち止まるとシンバルを

落としてしまいます。

 

老人が大地を見詰めると足元から、

どんどん花々が咲き始めます。

若者は倒れこんで花々に顔を

埋めます」

 

諸内容から意識があまりに遠い時は、

アニムスだけが、それらに関わっている

ような感じになります。まだ、遠いので、

彼女自身が体験するのではなく、

アニムス像が体験して見せているという

ことのようです。

 

自分の中の、好ましくない特性を

抑圧すると、それを他人に投影します。

 

気がついていないが、本当は自惚れ屋が、

謙虚に振舞うと、その願望が投影が

他の人の中の虚栄心を引き出してしまう

場合があると言っています。

 

ものごとを美化して感激ばかりする人は、

周りの誰かの俗悪さを引き出したり、

何かを怖れている人は、周りの誰かの

攻撃性を引き出してしまったりします。

 

若者は、シンバル→音楽と、

踊りや本能を表す動物と一緒に居て、

ディオニュソスの高揚を示しています

 

デルポイノ神殿を二分している

アポロンは、厳格な規則や法律を

表していて、彼女は忘我状態に

なりたいが、アポロン的な意識が

邪魔して、自身を解放しきれない。

 

ディオニュソスは、規則を破り、

陶酔して、自身のことも問題じゃない

ぐらいに我を忘れ、現実を軽視します。

 

老人の出現でシンバルを落とし、

踊りをやめています。

 

ターバンは、東洋性…東洋的無関心で、

瞑想等によって具体的な個々のことが

無視されていく傾向を示していると

言っています。

 

第一講は、この辺で終わっています。

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