旅行・地域

出発当日の朝 と  行きの飛行機

 出発当日の朝

1/17の朝、かなり早朝に起きてタクシーで駅へ。新幹線の中や、成田エキスプレスでも、周りは寝ている人が多いし、睡眠時間から考えると僕も眠たいはずではあるが興奮のせいか全然眠くならなかった。東京駅で、まだインドの水も飲んでいないのに、お腹が痛くなって下痢だった。緊張からかもしれないが、これ一回であとは平気だった。

行きの飛行機

 インド行きのJAL機はかなりガラガラで、1/4も乗っていないほどで楽だったが、実感は沸き難いものだった。行きの飛行機では、「イキガミ」という日本映画を、観始めたのが途中からだったり、途中がアナウンスで抜けた箇所もあり、三回見てつながった。あとは、「イーグル・アイ」という映画も見た。

それ以外では、一週間前に新聞の書評で見てすぐに注文した真木聡介の「気流の鳴る」を飛行機の中で読みながら行った。真木が、インドとメキシコに行って、そこから人間のあり方について考察したもので、メキシコのところでかなり長く引用されているのが、カルロス・カスタナダのドンファンの教えについての部分で、この旅のキッカケにもなった井上亮さんの「シャーマニズムと心理療法」の「日本人にとってのインド体験」の章でも、カスタナダの夢見のワークが、インドで急に出来るようになったというものだった。

これを行きの飛行機で読みながら、いろいろな形で、いろんなものが絡み合っているんだなあと改めて思っていた。

インド後半の悲劇

1/21

の夜、昏睡強盗の被害に合い、バッグ・財布・クレジットカード・カメラなどと一緒に1/17のインド出発時から克明に…夢も記録していたノートも盗られてしまい…結局、残っている記憶のみで書くしかないことになってしまいました。

1/21の夜から1/23の昼まで、マル二日間意識がなかった。1/23に目覚めた時には、インドの病院に入院中。1/22の昼頃に発見されて病院に運ばれたらしいのですが、インドというと常夏の国というイメージですが、デリーがある北部の冬は凍死者も出るそうなので、よく命拾いしたという感じです。

帰国してすぐ、再び日本で、僕の勤める病院の救急外来に受診して、CTやレントゲン、血液検査などをしましたが、骨折などはなく擦過傷と打ち身だけだということです。

インドに着くまで、僕自身も知らなかったのですが、僕一人に対してドライバー一人と日本語のできる現地ガイドが、びっちりとついていてくれるリッチな旅だったのです。1/21も、追加料金でエスコートしますよという話があり、1/22,1/23はまた一緒にデリー市内を廻ることにして、1/21だけは一人で廻ってみたいと申し出ての行動でした。

確かに、1/21までは知らないインド人が話しかけて来るということは、ほとかんどなかったのですが、1/21はホテルを出てすぐにも、オートリキシャに捕まりました。№!と何度か断ってもしつこいのと、ホテルから地下鉄の駅までも方角もわからないので、「カロル・バーグ・メトロ・ステーション、ハウ・マッチ?」と聞くと、「テン・ルピー」ということなので乗ったのです。

しかし、そこもマーケットでごった返しているし、駅付近もごった返しているけれど、途中の車の通りの少ないところで寄せて、駅じゃなくて目的地はどこだとか。地図を出して、勝手に「デリーなら、こことこことここの五ヶ所で…今日一日、これ全部で780ルピーでどうだ」などと言って来たので、「№!Just only metro-sttion!」を繰り返すが、「じゃ全部で500ルピー」などという押し問答をしばらく続けると、今度は駅までは10ルピーじゃない。10ドルだと。「№!You said 10rupies」と繰り返して、やっと辿り着けたという感じがありました。

1/21

前半の行動は、また別に記述したいのですが、19:30での友人との待ち合わせに、かなり早くコンノート・プレイスについたのですが、取り敢えず待ち合わせ場所を確認しょうとしたのですが、地図で見るよりすごく複雑でウロウロしていると、一人で歩いている外国人を見つけて、遠くからスーッと近づいてくる人間が四五人も居ました。

自分は、料金は取らない。英会話の勉強に来ているのだとか。自分は、靴磨きだが、あんたはサンダルで、だから商売じゃない。友情だけだとか。ただで地図をくれるところがあるから、インドに来てくれた人に案内しているんだとか。旅行会社に連れて行こうとしてきた人が居て、会話だけの時は会話に応じたが、旅行会社は必要がないというと怒り出したり、ここまでの案内料を出せと言ったり。

30分前に待ち合わせ場所も発見して、そういったことを、ノートに書き出してみようと垣根に座り込んで書いていたら、前から居たように隣に座ってたオッサンが、「You Japanese?」など聞いて来て、54歳で隣の男が息子で22歳だとか。こっちのことも聞いて来るので、52歳で20歳の息子が居るというと、奇遇だということになり、ぜひチャイをと。実は、その寸前にチャイは飲んでいたし、やっと見つけた待ち合わせ場所をあと30分しかないので離れたくなかった。で、二三回断ったのだが、「すぐそこだ」と言うのにかなり遠く、飲んだ後も「この先にぜひ見せたい寺院がある」「もう、戻らないと時間だ」「すぐそこだ」「『すぐそこ』と言いつつ、遠いじゃないか」と言いつつついて行って記憶がなくなった。

心理療法とシャーマニズム

井上亮と言う人の「心理療法とシャーマニズム」という本の中の一章の「日本人にとってのインド体験-その心理作用について」の中のp23に「グループの何人かの人が、日本では見ることの出来なかった大切な夢をインドに来てから見ることができたという事実である。どうもインドの地に何日か居ると、我々の心のどこかで蓋が外れてしまいヌミノースな体験が可能になるようだ」という一文があって、今回2008年の夏になって急にこの夢を思い出したのです。
 井上亮と言う人は、1947年生まれで、京都大学の工学部を卒業して四年ほどダイキン工業という会社で働かれた後、京都大学で心理学を博士課程まで学び、私と同業者の臨床心理士になられた方です。

描画テストや自閉症・離人症などの、心理学らしい論文も書かれていますが、その頃から、世界中を旅されていて、とくにアフリカのカメルーンでは、シャーマンの弟子になって、そこで呪術医の資格もとって来られて、複数のシャーマンから、シャーマンの修行はとてもうまく行くが、日本に帰ったらすぐに死ぬだろうと予言され、予言通り、現地の方たちより順調にイニシエーションをクリアーしていかれて、異国人でありながら、シャーマンとして認められる存在になられました。しかし、1995年からは大坂女子大学の教員をされていたようですが、もう一つの予言もみごとに的中して、2002年に昇天されています。

夢に興味

 セラピーにはいろいろなセラピーがありますが、その中でも夢というものに惹かれて、自分の夢を検討するということを長年やってきています。

夢の分析も長年受けていますが、フォーカシングという自分の心の中を探っていく方法も長く続けていまして、そんな中で1998年の222日。私の主催で「夢とフォーカシング」という合宿を行いましたが、その夜に私自身が夢を見ました。

「空港の中のようなところを、インド人の運転手のタクシーに乗って。降りる時に料金が千円だったのですが、千円札が一枚しかなく、千円札も必要なので釣を貰おうと一万円札を出したのです。そうしたら、『釣がないから』と、いきなり運転手がすぐ前の地下にあるインド民芸品店に入って行った。ないのなら、一枚しかなくてもその千円札を出すつもりだったのにと思いましたが、その前に運転手がいなくなっていました。戻ってきた運転手は『一万円は、自分の借金の返済に使ってしまって、もうない。その代わり知り合いの店なので、これで勘弁してくれ』と、ガタクタの民芸品を渡して済ませようとする。私は怒って『とにかくこんなものじゃ納得できない!』と。店に行って、『こっちが気に入ったものじゃないと認めない』と、運転手と店の親父を相手に、喧嘩腰で、九千円の値札の付いたメダルのようなものと。それだけではなくて、もう一つ、彫り物をした石の置物を見つけて、「この二つなら許してやる」と掛け合った。メダルだけで九千円だが、ボッタ値段かもしれないので、多めに請求しても良いはずとか。元々、欲しくてじゃなくて、釣りの代わりで勘弁するのだからと思っていた。その二つ目は、まったく値段がわからなくて、二束三文のものかもしれないんだけれど、採算が取れなかったとしても、『これなら満足』と思えるほど、気に入って、とても満足した気分になった」という夢。

その夢を、翌朝さっそく、フォーカシングという方法で、ワークをしてみました。私の気持ちの中には、どこかで強引に喧嘩腰で値切り倒したような後ろめたさがありました。そういう気持ちにもワークしていくために、夢の中の運転手や店の親父の側になってみることにしてみました。そうしたら、「お金はボロ儲けでも、言い値でそのまま買って行く日本人は、通り過ぎて行くだけでツマラナイ」という感じがあり、「そういう連中と比べると、こいつは骨があってなかなかおもしろい奴だな」と感じていました。そんな風に自分が感じられたことに対して、自分でもとても驚きました。

しかし、それは1998年の夢でスッカリと忘れていました。

自己探求が先に

 私は、元々「自分の心の中を知りたい」ということが心理学を志した動悸でしたし、自分自身がセラピーを受けるためには、セラピー料金も稼がなくてはならないので何か仕事はしなければなりません。

  関係のない別の仕事で稼いでも良かったのですが、セラピーの世界に詳しくなれるし、自分自身もセラピーの世界で収入を得られないかと考えて、臨床心理士になりました。なので、むしろ教育分析を受けることの方が目的でもありました

臨床心理士の研修

 近所の方とかと話をしていると、仕事の研修は当然、「職場から費用が出てるんでしょう」と言われて、こちらが驚いてしまいますが、臨床心理士の研修は、大部分が自分で出費していることが多いです。

 講義みたいなものなら本を読む方が早いので研修に出向く必要もないですが、自分の事例を検討して貰ったり仲間の事例の検討を聞いたり、先生と一対一で自分の担当事例を検討するスーパー・ビジョンというものなどが研修の中心になります。

これは必ず皆が受けるという必須のものではないのですが、さらに自分自身の心の中を探っていく教育分析というものも、受ける人もいます。

出発以前

はじめに

 「臨床心理士の見たインド」という題にしましたが、別に私が臨床心理士の代表ではないということは、改めて断る必要がない程、明らかなことですが、地方の総合病院で二十数年間の臨床を続けてきている一人ではあります。

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